2009年12月24日木曜日

THE OUTLINE 見えていない輪郭展


週末に、夜な夜な六本木に出かけて21 21DESGIN SIGHTでやっているTHE OUTLINE 見えていない輪郭展を見てきました。

感想としては、お店に品物並べてもらったほうがいい。笑

って感じでした。

というのも、日常的に使われることを前提とされたプロダクトが触れない、となったらフラストレーションたまってしまうじゃない。

もちろん、コンセプトに「輪郭」という風にあるので、その造詣を見て楽しむものなのかもしれないけれど、それも店頭でできちゃいますよね・・・

でも、もちろん、建物の雰囲気や、展示会独特の白さみたいなのの中で美しいプロダクトを見たい方にはおススメします。

※あ、あと慶應生だと、提携校割引とかで、学生料金マイナス100円で見れるみたいです。

私は、もう学生じゃないけどね?。

ついでに六本木ミッドタウンのイルミネーションも見れてなんだか楽しかったです。

クリスマス前って、どこもかしこもきらきらきれいでいいねー。

2009年11月30日月曜日

岡本太郎記念館


昨日、人と待ち合わせまで少し時間が余ったので表参道にある岡本太郎記念館に行ってきました。

普通の住宅街の中にあるこじんまりとした美術館で、一見するとカフェのようなのですがしっかりと岡本太郎の作品に出会うことができます。

岡本太郎記念館:http://www.taro-okamoto.or.jp/

展示作品はとっても少ないのですが、太郎の暮らした家兼アトリエということもあってその雰囲気は圧倒的。

1階のリビング(?)は、太郎とかの子の影(オーラ?)を今でも感じることができる場所でした。

表参道で時間があるときに立ち寄るのに良い場所です。

ちなみに、なんとなく手にした『美の呪力』という本がおもしろい!

美の呪力 (新潮文庫)/岡本 太郎




¥620

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医学と芸術展


でもって、今日は森美術館で開催されている「医学と芸術展」に行ってきました。

医学と芸術展:http://www.mori.art.museum/contents/medicine/index.html

去年の南條さんのアートマネジメントの授業でこのタイトルを聞いてから、かなりおもしろそうだなぁ、と注目していたのでわくわくだったのですが、いい意味で美術館的展示というよりは博物館的な展示で一緒に行った理系の人も楽しめたようでした。

展示内容もちょっとグロテスクだったり、倫理的な問題を孕むものだったりとかなり幅広く、コンセプトによっては美術展ってほんといろんなものを扱えるという点に関して新しい気付きも得られました。

Life Before Deathという作品は、ぐろくなくて分かりやすいという点でちょっとお気に入り。

Life Before Death:http://www.guardian.co.uk/society/gallery/2008/mar/31/lifebeforedeath

続きで表示される2枚の写真が、生前と死の直後のポートレイトを並べたもの。

イメージしていた死よりも穏やかな死に顔に吸い込まれそうになる感じが好きだったかも。

というわけで、グロテスク系が大丈夫な人にはおすすめです。







あ、オーディオガイドがメンテナンス中だったのはちょっと残念だったけど・・・

2009年11月12日木曜日

『ラグジュアリー:ファッションの欲望』


着ている服の半分以上が妹か友人からのもらいもの、という程度のおしゃれ度低の私が、ひょんなことがきっかけで、東京都現代美術館で開催されいてるラグジュアリー:ファッションの欲望を先日鑑賞してきました。

ラグジュアリー:ファッションの欲望

http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/105/

普段のファッションはまぁまぁ興味ないけど、きれいなものや美しいものは好きー!ということで、けっこう楽しく見てきました。

いくつか感じたことは以下の通り:

・なんかおしゃれをしたいという人の欲望というか、見栄というかは、昔から変わらないものなんだぁ

・時間が経っても、時間をかけて作り出されたものはなんだか圧倒的

・保存状態のせいか分からないけれど、古い衣装が西洋的というよりは日本的な落ち着いた色合いで構成されていたのがちょっとびっくり。ちょっと好きな感性

あーでも、ちょっとある衣装の前で、その背景にうずまいているものすごい感情に気おされてちょっとどんよりしてしまったけど。なんかあるよね、そういうの。

分かりやすい感じに説明すると、日本刀とか鎧とかの展示の部屋の空気が重いのと似たような現象で、でも、それよりももっとどろどろ感のあるものの感じがした、今回は。

多分、こういうレベル感の服を着て街を歩いてもどんびかれないのであれば、ちょっとファッションのめりこんじゃいそー、ということでファッションが好きな人だけじゃなくて、きれいなもの手の込んだものが好きな人はぜひー。




2009年11月8日日曜日

新しい世界の中を歩く~ダイアログ・イン・ザ・ダーク~


友達と3人で、ダイアログ・イン・ザ・ダークに行ってきました。

f:id:ayae84:20091107174219j:image

※写真は、会場の入り口。

ダイアログ・イン・ザ・ダークとは


ダイアログ・イン・ザ・ダークを一言で表すと、暗闇を堪能するエンターテイメントと表すことができます。と言っても、経験しないことにはその感じというのは全く伝わらないと思うのですが、実際に真っ暗闇の中を様々なアトラクションを体験しながら進んでいくだけのシンプルなエンターテイメントです。

真っ暗闇の中を杖を使って、ときには手や自分の触覚・嗅覚、参加者の声を頼りにして進んだり立ち止まったり、遊んだり、飲んだり食べたりします。もちろん、アテンドしてくれる方がいるのですが、その人は暗闇の達人とでも言える視覚障害者の方。彼の声を頼りに、参加者8人でわいわいがやがやをしながら60分間を過ごすのです。

聴覚障害者の雇用創出という側面も併せ持つダイアログ・イン・ザ・ダーク。ちょっと気になる方はぜひWebを覗いてみてください。

ダイアログ・イン・ザ・ダーク:http://www.dialoginthedark.com/

ダイアログ・イン・ザ・ダークに参加しての感想


内容に関しては、あまり書くとネタばれになってしまうので簡単に済まして感想を書いておきたいと思います。

真っ暗闇の中を進んでいく経験というのは視覚障害を持たない私にとってはその暗闇の世界は全くの新しい世界で、最初はおっかなびっくり、徐々に慣れてくると好奇心を非常に掻き立てられる時間を過ごすことができました。

自分の気付きとしては、

  • 目を使わない分、普段は使わないような感覚を使うということ。言い換えれば、視覚以外の感覚をフルに使っていないのかも、ということ
    • あるものの種類を見分けるために手で触っても分からないと匂いを嗅いで識別していたり
    • 歩いている地面の変化に敏感になったり
    • 人の声に対して従順になったりしていたように思います

  • また、急に手を伸ばすと怪我をする危険があるだけでなく、他の人にぶつかってしまう可能性があるため自分の周囲の環境に対して敏感に、同時に優しさを持って接していたように思います
  • また、普段だったら人にぶつかったらすいません、というだけですが、ぶつかったことで新たな会話が生まれる

暗闇に入る前は、直島の家プロジェクト南寺(http://www.naoshima-is.co.jp/index.html#/art/minami)ぐらいの暗さ、かなり暗いけれど目がなれると弱い光ぐらいなら認識できるのかと思いきや、60分間一切の暗闇でした。そして、終わってから気がついたのですが自分でも驚いたのが、南寺のときは早く見えるようになって、さくっと作品を体験して暗闇から早く出たい、と思っていたのですが今回はむしろ怖いとか息苦しいとか感じることなく、むしろ終わりを迎えたことにもっとここにいたいと思う自分がいたことです。その違いは周りの仲間(友人だけでなく、その場でたまたま一緒に暗闇を体験することになった人たちも含め!)の声かけやアテンダントのさとちゃんがいる安心感などによるものだったのかもしれませんし、暗闇に対する愛着のようなものが湧いたのかもしれません。

そして何よりの感想は、暗いって素敵だな、と。真っ暗闇でなくとも暗いところに自分の身を置く経験を日々の生活の中でする機会があったらよいのに、と思ったりしました。特に、東京(新宿だけかな?)の空は夜でも暗くなることがありません。星も月もくすんで見えるぐらいの明るさって、ちょっとなんだか悲しいですよね。自分の感覚を暗闇で研ぎ澄ます、贅沢な時間を作っていきたいと思いました。

2009年9月29日火曜日

心臓/KREVA


古内東子とセッションしてる「シンクロ」が好き!



そばにいるだけで満ちてゆくプラスのバイブレーション


そばにいるだけで好きになってく

二人だけの現象

また同じ事を考えてた二人、不思議だよね

また同じ言葉言おうとしてた


いつもシンクロしてる

っていう、女性パートがすごい好き。ってか古内さんの声が透き通ってて感動的。

誰かとカラオケでデュエットしたいなぁー。

って、男性パートはKREVAのラップなので難易度高いけどね!







アルバム全体の感想も。

ネタばれになっちゃうけど、心臓というタイトルにあわせて前半と後半で右心室、左心室でコンセプトが違うみたい。

ちょうど真ん中に配置された曲が「心臓」で、ちょっと仕掛けが。

こういう遊び心というか、普通をはねつけるようなもののつくりがKREVAっぽくて楽しい。

そうそう。KREVAは、アルバムもライブも、楽しいよね。

心臓(初回限定盤)




¥2,390

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2009年9月21日月曜日

Book Log: ビッチマグネット



野田秀樹の「ザ・ダイバー」を読もうと思って数週間前に買った新潮の9月号に手を伸ばすが、読みかけになっていた小説を先に片付けてしまおうと、同じく新潮9月号に掲載されている舞城王太郎の『ビッチマグネット』を読了。

いつだったか、2,3年前に舞城ファンになりそのときに出版されていた本はほとんど読んだってぐらいのはまりようだった。久しぶりに突入してみた舞城ワールドは、未だ健在で、そして、いったん引き込まれると途中でやめられない中毒性の強さはもう久しぶりに心地よい乗り物にのった感じでした。

彼の作品は表現がうまいとか、きれいなことを書いているというよりは、現代に生きる若者の気持ちを若者の言葉でうまく表現していて、ライトノベルという風に括られることもあるけれど、多分もっと一歩時代を先取りしている進んだ文学という感じがして私は好きなのです。







あ、で、とりわけこの本をブログでレビュー(ってほどでも、いつもないんだけど)しようと思ったのは、今日の午前中に読み終えた「甘えの構造」に通ずるものがあったから。

人は誰かにどこかで甘えながら生きていてそれが健全な状態である、土居さんの主張を、この作品はとってもうまく表している感じ。

ビッチ(な女性)ばっかりをひきつけちゃう主人公の弟も、その物語を演じているに過ぎないかもしれなくてその役割を認めていることそがすでにその物語の登場人物である他人に甘えているってことなんですよね、多分。

ほんと、まさに、そうなの。

さっきお風呂の中で気がついたのだけど、私が本を読むのもおそらく、本当はすでに自分の中にある回答の裏づけが欲しいだけで、本当に本の中に何かの答えを求めているわけじゃないということ。

それでもなお、私は本の中から答えを探し出す役割を演じていて、そういう役回りであることをよしとしている自分、そういう役回りが赦されるとどこかで思っていてそれ自体が甘えに基づく立ち居振る舞いなのだ、とはっとしたわけです。

あ、だんだん何が言いたいのか分からなくなってきたー!!

とにかく、舞城王太郎の作品はその書き方の斬新さに最初は圧倒されてしまうけれど、すっごい本質的なことを言っているということが言いたかったのです!

あと、「甘え」は、最近ではマイナス表現で使われることも多いけれど、人の構造として本来的なものである、という前提で使ってまーす。




2009年9月10日木曜日

教育の目的とは?「賢さ」は万人に求められる時代なのか?


※あと、15分ほどで家を出ないといけないのですが、仕事に入ったら今考えたことを忘れてしまうかもしれないのでさくっとメモ。

先日のFLEDGEのディスカッションテーマに「今の学び」と「未来の学び」は何が違うかというテーマがあって、ずっと「賢さ」とは何かというのが自分の中で引っかかっていました。ディスカッションの中では、私も含めて、極論を言えば、一般的な共通認識として「賢さ」=「生涯年収」という風に置いているような節があって、例えば藤原さんの言う「情報編集力」も、一般的に今の時代が必要としている「Creativity」も、それは今の社会でどうすれば生き残ることができるのかという問いから発せられるもので、それはすなわち勝ち残るという要素を強く包含している印象を拭いきれないでいたんです。

さて、そんなこともやもやを抱えていた一昨日、昨日でしたが、あるMLで流れたIターン者の言葉にその解の手がかりをみつけることができました。その人はMLの中で、おおよそ下記のようなことを述べていました。



島にきて、農家の人たちにもっと経営な視点や努力が足りないというけれど、頭のいい人というのは農業なんて儲からないからそもそも農業に携わってはいない。彼らは、もっと違う動機、例えば「自分の食べ物は自分で作りたい」とか「土地を荒らしたくない」とかそういう動機で農業をやっている。



この文章を読んだときに、「賢さ」は「賢さ」で、確かに必要だけれどもそれはやはり、国をもっとよい方向に持っていきたいというパッションだとか、実直に生きるということ、ともすれば幸せに生きるというのもまた「賢さ」とは別のものであるのだな、という印象を受けました。

賢さ(一般的な意味での)を求める教育もよいし、もっと違う何かを求める教育もあってしかるべきなのかもしれないと思いました。つまり、教育の求めるもの=賢さではない、ということ。あるいは、教育で育むべき「賢さ」そのものを、一体どんな風に捉えるかを徹底的に考え直す必要があるのかもしれません。

勉強会の中で山内先生が「あなたはどんな賢さが欲しいですか?」という投げかけをなさっていて見事に本質を突いた問いだったなぁ、と今更ぐっときました。

というわけで、タイムオーバー。会社、行きます!

2009年9月6日日曜日

秋の風にあう歌


というより、最近よく聴いている曲。




A Fine Frenzy - Almost Lover 

http://www.youtube.com/watch?v=HCeS-yorGtc

ダントツのお気に入り。

=> 歌詞

Company of Thieves - In Passing



Ne-Yo - Closer

http://www.youtube.com/watch?v=ZUTh3OJjWjM

Beyonc〓 - Ego

http://www.youtube.com/watch?v=UMq2Qx_hBvY

Daft Punk - Digital Love



Leona Lewis - Better In Time



=> 歌詞




2009年8月9日日曜日

『情報デザイン入門』メモ


昨日、ICCで開催されているプレイフル・ラーニングに行ってきました。そこの模様はまた別の記事に書く予定ですが、今回は図書室に置かれて本でおもしろそうなものをみつけたのでそのときのメモをまとめておきます。

「情報デザイン入門」メモ



情報デザイン入門―インターネット時代の表現術 (平凡社新書)







渡辺保史さんのページ


情報デザインとは;

世の中に存在する複雑で多様なモノ・コトを整理(組織化)し、それを他人が理解しやすい「かたち」としてまとめていく営み

情報の組織化の5つの方法

情報の組織化には5つの軸がある。

byリチャード・ソール・ワーマン(肩書き:information architect)

  1. カテゴリー
  2. 時間
  3. 位置
  4. アルファベット(五十音)順
  5. 連続量

連続量に関しては、このブログの解説を読むとちょっと分かります。

http://www.kanadas.com/weblog/2007/04/post_53.html

Richard Saul Wurman

何者かと思って調べてみると、TEDの創設者でしたね。納得です。



情報選択の時代









sensorium

情報の新しい表示の仕方


日本家屋における“間”

情報を外部から間泣きいれ、編集するために不可欠なインターフェイス

気になる本


生きのびるためのデザイン







co-design





Living Memory


下の2項目に関しては、アウトプットだけでなくプロセスに情報の受手の情報を取り入れていく(主客融合)という点で、社会起業のトレンドとも似ていると感じたもの

ちょっとしたメモ


情報デザイン入門とは別に、上田先生(プレイフル・ラーニングのオーガナイザー)の人が宣伝会議のインタビューで興味があるとかいていたものに関するメモ

ミルトン・チェン:ジョージ・ルーカス教育財団(サン・ラファエル,カリフォルニア)の総括責任者


Scratch


雑記


上記の情報に関しては、ノートに書いたものをほぼ転記しただけなので、後で読んでみてからURLなどつけたしていくかもしれません。

プレイフルラーニングをオーガナイズした上田さんの気になる本というコーナーの「情報デザイン」に関する本が数冊置いてあったのが何よりも興味深かった点です。「学び」と「情報(編集)」あたりは、最近の私のテーマでもあるので、少し勉強してみようと思います。

2009年8月8日土曜日

楽しい偶然


彼女の名を呼んだのは、いつもの私ではなく、今日の経験の記憶を生々しく持つ私であった。独特の楽しさに裏付けられたその行動は、それはある種アート的な、偶然さえも作品に取り入れてしまう一流のアーティストの感覚に近かったのではないかとさえ思える。ともすると人生は、感覚さえ研ぎ澄ませれば、アーティスティックなシナリオをつむぎ続ける、ロマンチックな営みなのかもしれない。



オペラシティの中を歩いていると、突然、誰かが私の腕をつかんだ。また鞄から物でも落としたか、と振り向くと大学一年の時に同じサークルにいた友達が笑っている。長身の彼女は、相変わらずの目じりの下がった優しい笑顔でにこにこしている。さっきまで一緒に飲んでいた知人にお先にどうぞと手で合図をし、私と友達はゆっくり歩きながら近況を報告しあった。驚くこともなかったが、落胆することもなく、駅までの楽しい数分間を過ごし、お互いの連絡先が変わっていないことを確かめて反対方向のホームへと降りて行った。

そのあと、私は、先ほど分かれた知人がホームにいるのを目で確かめ、ためらいながらも、また合流して、久しぶりの大学時代の友人だったことを報告した。さっきまで飲んでいたこの人たちとは、これからもっと仲良くなるだろうという楽しい予感を持っていたので、できるだけ率直に言葉を選び、一駅分、自分の進路とライフスタイルについて話をして、そして別れを告げた。

新宿駅で、京王新線の長いエスカレーターを登りながら、今日の楽しかったイベントのことと久しぶりの気の置けない友達との会話にすっかり気分をよくした私は、ふらーっとLUMINEのブックファーストに向かいほどほどにはやりの本をチェックして、お会計をすませると、新宿の東南口に向かった。ほろ酔い気分と、暑さのせいでなんだかふわふわした気分で歩いていると、よく見知った顔がある。左手に、幼稚園から同じ学校で学んだ友達が立っているではないか。まさか、さっき知り合いにばったり会っただけで、その偶然に喜んだのに今夜はもう一つ偶然が起きるなんて。声をかけるか、迷った瞬間に、初台で腕をぐいとつかまれた感触を思い出す。あれは、確かに唐突だったけれど、なんとも言えない楽しさを私に与えてくれたではないか。

私は彼女のもう20年近く呼びなれたあだ名を呼び、その友達に近づいて行った。その次に訪れる、なんとも言えない楽しい時間をもう一度味わうために。

--

今日の楽しかった偶然をストーリー風にまとめました。

大量に送った暑中お見舞いたちも届き始め、いろんな方からメールが舞い込み、なんだかうれしいこといっぱいの日です。

2009年7月31日金曜日

『天使と悪魔』

※ネタバレ注意

中、下、はものすごい勢いで読み進めました。

いやぁ、おもしろかった・・・!

▼読み終えての感想

業をなし終えたあとの、神のカメルレンゴへの沈黙がジャンヌダルクを彷彿とさせてなんか切なかった。

その篤い信仰心故に、奇行と思われるような行動をとり、それでいて神々しいまでの自信にみなぎる姿。

そこに、作者自身の善とか悪とかの判断を加えずに描写されていたので、ちょっと安心。

それでいて、科学の中に神を見るというのもヴィットリアの意見はいかにも現代的だなぁ、と。

カメルレンゴの行動は、人間の中にも“神的”な存在があることを証明しているよい例ともなりうるわけで、人が自分の力を、自分を超えた何かによって確信させられるとき、普通では考えられないような力を出したという現象、それこそが、まさに人間という生物を含めたところの自然の持つ不思議な力なんですね。多分。




▼なぜに、この小説はこんなにおもしろかったのか

サスペンス的な物語の展開とどんでん返し、あとはそれ以上にカトリックの話やイルミナティを扱っていることが人の知的好奇心を刺激するのでしょうか。

宗教的な話題って、全世界のほとんどの人が敬虔な信仰を失っている現代の野次馬精神に火をつけるだけでなくて、どこかでそのものを否定すること許されない禁忌に対する冒涜感があるのがまた読み手にスリルをもたらすんでしょうか。

これは、イタリアの美術を実際の舞台にした映画はまた違った意味で一見の価値ありそうですね。

と、思ったけどもう映画はやってなさげー。



ストーリーとはちょっと関係ないけど、思ったこととしては;
  • 「神性」に対する興味
  • 内省によっていたる境地は神性への到達足りうるのか
  • 神性と精神性(スピリチュアルの世界)の違い
あたり。

ある種、現代の人間は、自分たちの力を信じてやってみよう!的な風潮の中にあるけれど、その動きというのは本当に正しいのか、というのがこれらの疑問の根幹にあると自分では思います。

つまり、神や、まぁ、よく言われるのは宇宙の力的なものを心から信じようと言ったときに、本当にそれは自分を超えた、いや、凌駕するほどの力を持つものであると感じ、「畏敬」の念を人は持っているのか?ということ。

この何を持っても超えることのできない凌駕する何かに頭を垂れる瞬間を人は自ら放棄し、偉くなったつもりになっているのではないか、とちょっと危惧したりするわけです。

まぁでも、百聞は一見にしかず。

荘厳な、そうでなくても、簡素でいて確固たる何かの満ちる場所、たとえば、教会はそう感じられるように非常に上手に作られている建物だと思うのだけど、に行けば心が洗われるような感覚を感じることができるわけなんですよね。

個人的には、教会みたいな神聖な場所は好きです。

たまに、行きたくなるよね。




2009年7月27日月曜日

『怖るべき子供たち』


私が、ジャン・コクトーに興味を持ったきっかけは、テレビか何かでたまたま見た、彼の手がけた教会が美しかったからだ。

名前は、知っていたけれど、彼の文学よりも、彼の詩よりも、彼の描き出す線が好きだった。

藤田嗣治の絵と同じぐらいコクトーの絵が好きで(I love Fujita so much!!!)、藤田の裸婦の絵を携帯電話の待ち受け画面にしていて、後輩にドン引きされてからは、コクトーのパリの絵を画面に設定しているぐらいなのだ。

その後、ジャン・コクトーの多彩ぶりに興味を持ち、堀口大學の訳したコクトー詩集を手にはしたものの、原文の美しさにあたる機会がなかったために(詩に関しては、完全なる原語主義です!)、コクトーは私の中で待受画面の人どまりになってしまっていた。

そして、つい最近、松山ケンイチのスペシャル・カバーとかいう角川文庫のキャンペーンのおかげで、店頭で平積みされたコクトーに再び出会った。

怖るべき子供たち、だ。

子供には、確かに、彼らだけのルールによって統制される空間・時間がある、ということを意識の上に引っ張り出してくれる本である。

そのルールによって生み出される秩序は、もはや常識の世界に生きる私たちにとっては理解しえない世界でありながら、常に、大人と呼ばれる人々の世界とパラレルに存在する安定感を持っている。

私たちは誰もがその過程を潜り抜けており、本能的にその存在を無視できない。

子供らの世界の存在を誰もが直感するからこそ、この物語が、寒気ただよう、 terribleな(狂気じみた)物語となりえることを、ジャン・コクトーは確信していたと感じる。

思い返してみれば、私自身も、子供のころに確かにあるルールを持って友達と独自の世界に浸っていたことがある。

そして、それは思い返すことがかろうじて許されたとしても、言語化して、他人と、そのときに一緒に世界を創り上げた友達とでさえ共有することは決してゆるされないものであると私は思っている。

だからこそ、この本の主人公であるエリザベートと弟のポールに狂気はまったく感じないし、特異性も感じない。

その代わりに、その現実味によって緊迫感すらある戦慄を覚えるのだ。

そして、コクトーの無邪気な確信と、その(本著作による)実現こそが、彼が天才的な感性の持ち主であることの証明だ。

何しろ、彼がこの作品を完成させたのは40歳前後なことを考えれば、子供の頃の遊戯の意味をここまで鮮明に取り出しながら、同時に再現することが可能な鋭さを持ち合わせていたことになるからだ。







角川文庫の訳者は、油彩画家の東郷青児であったが、彼はあとがきにこう記している。

“画家の私から見ると、この詩小説はほとんど色彩を感じない。(中略)彼のパレットには灰色か、白か、さもなければ燻銀のような黒しか並べてないようである”

まさに!

この本は、厚い雲のたちこめる空の下、しんしんと降る雪をバックにしたある部屋の中で執り行われる遊びの模様であるる。

しかし、驚くべきは、その色彩の少なさをもってなお、彼の文章は、織り成すシーンを子供たちのある種の主体性を映像的に魅せることに成功している点であろう。







2009年7月26日日曜日

『海のエジプト展』


チケットをいただいたので、行ってきました。

中学生の頃は、エジプトふんちゃらときけば、迷わず展示会に行き、パンフレットを買っては家で眺めていたおたくっぽい私も、最近は古代エジプトとはかなり疎遠になっていたわけで、なんだか久しぶりに石だとか昔のアクセサリーを見て、そうだそうだこんなのにはまってた時期あったなぁ、と懐かしさ満載で観覧してきました。

展示物の量とチケットの値段から考えると、そんなにお得な博物展ではありませんが、海から引き上げられたエジプトの遺物というところに思いをはせる想像力を持ち合わせていれば、それなりに楽しめるかと思います。







酷評するならば;

・展示会の導線をもっと考えるべき

・説明などの表示をもっと丁寧にすべき

の2点はかなりマイナスポイントでした・・・

ということから自分の学びとしては;

・何かをやるときには、それと似た前例を探してそこにある知見をリサーチし、生かすべし

たとえば、パシフィコ横浜というだだったぴろい場所を使って展示を行うにしても、既存の美術館・博物館のつくりであったり、成功した展示会のレイアウトを真似ることはできるわけで、なぜそういう導線を作っているのかを徹底的に考え生かすことが重要。

意外性(イノベーション)は一歩ではなくて半歩取り入れるのがよい、とIDEOの本にも書いてあったし。

・展示の説明は、丁寧に。具体的なイメージの想起を目標とすべし

これはかなり具体的な話になるのですが、「??朝時代」って言われても、何年前か知らないし!と突っ込みたくなる場面が多々。

展示を見ながら人が知りたい情報というのは、たとえば、「紀元前??年」とかなわけで、具体的に数字を書いてもらえたほうが、なるほど、あのぐらいの時代か、って思えて、その時代に想いを馳せやすくなるじゃないですかー!ってか、私はそれが知りたかった。

と、まぁ、これに関しても全体的に前例のリサーチ不足、もしくは、リサーチしたけど、改善が行われていない例なんでしょうけど・・・







あ、まぁ、でも、昨日はみなとみらいの海沿いを散歩したりとなんとも“休日っぽい”まったりな一日が過ごせて良い日でした。




2009年7月15日水曜日

メモ;今週中にまとめたいこと


【イベントレポート的】

□小暮さん×いのさんセッション

□SIFE Japan国内大会及び、勝間さんの講演




□東方神起のライブで着想を得た世界の軸の話




□辻さんワークショップ

?すでにフロー状態にあるかもしれない状態で、意識をフローに向けることに意味があるのか。

?「好き」の感情が動かない状態について。集中




□編集学校ワークショップ




【キーワード】

幽体離脱系がはやる?

2009年6月8日月曜日

Book Review: 働き方革命 ― あなたが今日から日本を変える方法

タイトル:働き方革命 ― あなたが今日から日本を変える方法(筑摩書房)
作者:駒崎 弘樹

※著者である駒崎弘樹氏(通称:こまさん)のもとで学生インターンとして以前働いたことのある人間としてのレビューを書きます。


私にとっては、とっても感動的な本でした。読んでいる途中に、なぜか涙が出そうになるのです。

内容としては、泣ける話ではありませんし、どちらかと言うとコミカルに書かれた文章なのですが・・・

なぜ泣けてくるかというと、おそらく、この本に彼の生き様がぶつけられているのをひしひしと感じたからなんです。

働く、ということは、きっと生きることと切っても切り離せない関係にあって、だからこそ働き方を変えることが、一人ひとりの人間の生き方、あり方、そして日本の未来をも変えることにつながっていく、そう確信させてくれる本です。

飯を食うための「働く」があって、人生の何らかの価値を実現するための「働く」もある。もちろんそれらが重なっても良くて、飯を食う仕事を通してすばらしい価値も実現できるだろう。いずれにせよ僕たちは同時にいくつもの価値を実現できるのだ。

(中略)

傍を楽にさせることは「働く」なんだ。妻を、子を、家族を、友を、地域を、社会を、全ての他者を楽にさせることは「働く」なんだ。(中略)ならば家事も、家族との会話も、友との語らいも、地域へのかかわりも、「働く」じゃないか。・・・

内容に関しては知人がレビューしてくれたこちらが秀逸です↓

http://entrepreneur1986.seesaa.net/article/120262144.html



あ、ただ、一つだけどーしても気になることが、、、

文中に「洗面所」という言葉が出てきて、これをどうやらこまさんは「台所の流し」という意味で使っている模様。

私の感覚的には、「洗面所」はおおむねお風呂場の近くにくっついていて、顔を洗ったり歯を磨いたりするスペースのことなんですけど、どうなんでしょう、そこらへん。笑




2009年5月19日火曜日

池田亮司展 +/?[the infinite between 0 and 1] 


久しぶりの美術館。

東京都現代美術館で開催されている、池田亮司展 +/?[the infinite between 0 and 1] を見てきました。

展示物は、非常に少なかったのだけど、空間全体を使ったサウンドインスタレーションでかなりのインパクトがありました。

ちなみに、難易度高し。

一階は全体的に黒い部屋で、壁一面に映し出された映像の部屋。

スクリーンに映し出される映像によって、かなりの緊張状態を強いられる作品でした。

途中、冷や汗出てきたし。

地下の作品は、逆に真っ白の部屋の中の展示で、黒い部屋が動的に常に映像を変えていたのに対し、非常に静的なものでした。

こっちは、音を空間にあふれさせている、という感じ。

私は、どちらかというと白い部屋のが好きで、音が場所によって変わるのを感じるながら歩くのが最高に楽しかったです。

あーでも、できれば電子音みたいじゃないので、音のが織り成されたり、途切れたりするのを感じたかったな。

電子的なインスタレーションは、嫌いではないのだけど、長くは浸ってられないなぁ、と改めて実感。

どんな空間が好きか、と言われるとやっぱり、西洋のカトリック教会の雰囲気とか、劇場の重たい空気とかが一番落ち着くし、身が引き締まるんですよね、私の場合は。

温かみがあってそれでいて、個を超越する力の存在を簡単に感じられる場所。







物事の感じ方や捉え方、興味を持つ視点ってほんとに様々でおもしろいな、と思った一日でした。

自分の想像もつかない世界に思いを馳せるのは、おもしろいよね。




2009年5月14日木曜日

これからの教育のあり方を考える:平田オリザ氏×藤原和博氏

民主党の主催する「公共政策プラットフォーム(プラトン)第61回イブニング・フォーラム」に参加し、「もっと大切なことがある」というテーマで平田オリザ氏と藤原和博氏のお話を伺ってきました。

たまたま先日平田さんの「演劇入門」という新書を読み直して、数十年前に書かれた本にも関わらず「対話」の重要性などを説かれていて、この人すごい!と思っていたので、とっても楽しみにしていました。

下記は、お話を聞きながらとったキーワードメモです。


平田さん:

  • 今「ものづくり」がもてはやされているのは、構造改革後にもたらされるノスタルジーに過ぎない。
  • これから、日本が生き残っていくためにはきめの細かい「サービス産業」を盛り上げていくしかない。
  • そこでは、体験に根付いた「人とどれだけ違うか」という差異が求められてくる。
  • ※鈴木さんの補足:工業社会からか情報社会への以降(同義反復の無価値化)を指していて、ハード、ソフト、ヒューマンウェアのインテグレーションという意味。

藤原さん:

  • 現代の教育は子どもを大人にしません!
  • 大人とは、下記の二つの要件を持ち合わせている人のこと
    • Role Play:素の自分と演技する自分がいる
    • 論理的思考力=Critical Thinking=複眼的思考

  • 日本は、子どもを子どものままにしていおいたほうが儲かる仕組みになっている。
  • 大衆消費社会に変わって、個別生産が主流となっていく。

平田さん:

  • これから求められるコミュニケーションは、差異を明らかにしつつ、どうしていくかを考える力=インプットはばらばらでいいが、アウトプットに向かって一定の時間に動き出さなければいけない。

鈴木さん:

  • 近代国民国家のロールとポストモダンのロールは変わってきてきているので、新しいロールを作っていかなければいけない。
  • みんなが強いとチェックアンドバランスは成り立つが、今はみんながFragileであるのでShare and Collaborationが必要となってくる。

藤原さん:

  • 所属する組織で自分を語らない。そのためには;
    • 今ある職業分類を教えない
    • 学校を核に地域を再生する地域本部を全国に創っていく。団塊の世代、大学生などを巻き込みながら、新しい生き様を子どもたちに見せていく。

  • 現在の核家族(少人数の家族)では、ロールが固定され、役割を演じ分けることができない。

平田さん:

  • これからゆるやかなネットワーク社会になっていく。
    • 「みんながみんなを知っている(強固な)社会」から「誰かが誰かを知っている社会」への転換

  • 演劇は、音楽、美術、制作など多くの居場所を作ることのできるもの。
    • 「たしなめる」という言葉や「そこをなんとか」というコミュニケーションのある社会。cf)ゲラダヒヒ
パーソナライズの時代の教育と

今回のお話を聞きながら思ったのは、様々なものがパーソナライズ化していくんだ!ということです。つい最近MITのビット・アンド・アトムズセンター所長のニール・ガーシェンフェルド氏が書いた「ものづくり革命」という本を読んだのですが、この副題はまさに「パーソナル・ファブリケーションの夜明け」というもの。大量生産の時代が終わって、個人個人が好きなものを自由にデザインし、作ることが可能になっていく時代が今始まらんとしている、ということが書かれていました。

それは、ツールはあるのだから、個人の価値観、経験に基づいた何か、あなたの欲しいものを自由に作っていいんですよ!という大変ありがたい時代であると同時、自分は一体何者で、一体何を作りたいのかということを問い続けなければいけない時代になったということでもあります。

教育は、パーソナルの重要性とのその活かし方を教えていく方向にシフトしていくはずです。

今の私たちの世代には徹底的にこの視点が抜け落ちている気がしています。というのも、右へならえで大学受験をし、そして、右へならえで就職活動し、、というように、既存の価値観のレールの上でしかキャリア選択を行えない人がほとんどだからです。

でも、本当は人ってもっと多様性のある生き物で、自分の演じるロールも、自分の必要とするものもそれぞれ違って、それでいいんだと思います。それを誰もが理解できる社会になったら本当に素晴らしいと思います。

そのために私ができること、しっかり考えていきます。

▼参考文献



▼藤原さんおススメの本



▼以前、読んだ平田さんの本



2009年4月23日木曜日

apple CM song


数日前から、エンドレスリピート。

弟に、たまには違う曲かけて、って言われてしまった。。



http://www.lyricsmode.com/lyrics/y/yael_naim/new_soul.html

そうそう、ipodのCMに使えわれてた曲です。

そういう系でいくと、あとこれも好き。



http://www.lyricsmode.com/lyrics/f/feist/1234.html




2009年4月19日日曜日

韓国より、noridan来る!


4月17日、第一回 日韓社会起業ユースフォーラムに参加してきました。サブタイトルは、「やりたい事を仕事にする!-- 世界を変える仕事の秘訣」。

第一部の、実際にやりたい事を仕事にした代表として下記の三名が参加、

  • ホン・デリョン (noridan代表) www.noridan.org
  • 駒崎 弘樹 (NPO法人フローレンス代表理事)  www.florence.or.jp
  • 今村 久美 (NPO法人カタリバ代表) www.katariba.net

第二部は、日韓の中間支援組織の方々が登壇。

  • 山内 幸治 (NPO法人ETIC)
  • キム・ジョンフィ (韓国ソウル市立青少年職業体験センター HAJA 副センター長)
  • イ・ウネ (韓国「共に働く財団」事務局長)

スタッフとして参加していたこともあり、全てのセッションを聞けたわけではないのですが、特に印象に残っているのは、noridanのメンバーがそれはそれは幸せそうにパフォーマンスをするということ。

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noridanの今回の日本ツアーのキャッチコピーがRecycle Our Life(私たちの生活をリサイクルの輪の中へ)だったのですが、生活という言葉に最近はまっている私にとってはかなりぐっとくるものがありました。

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もう一点は、HAJAセンターのウネさんのお話。一番多くメモをとらせていただきました。ウネさん自身もやりたいことを仕事にして、人生を楽しんでいる方だという印象を受けました。

韓国では、チヂリという言葉あるらしく(この言葉をウネさんが言うたびに韓国から来た人たちは爆笑。きっと、スラングなのでしょう。英語では、nerdがニュアンスが近いそうです)彼はこの言葉に二つの種類の人間をカテゴライズしました。一つは企業に入って、言われたことだけをお行儀よくこなしている清貧の人たち、もう一つはニートなどが、自分のことを不良品だと思って萎縮しまっている状態のこと。彼は、その2タイプのチヂリの共通点をこう述べていました。

  • 自分のやりたいことをできないまま過ごすこと
  • 挑戦に失敗したときに、もう一度やろうと思える同僚、仲間に出会えていないこと
  • 自分が世の中を変えられると思っていないこと

このようなチヂリの人たちに対し変化をもたらそうと、様々なサービスを展開しているそうなのですが、その根本にあるのは下記のようなメッセージ。

  • 楽しく、幸せに生きる道の一つのロールモデルとしての社会起業
  • 隣の人と一緒にできることが人生を変える!夢や遠い未来だけを見る態度を変えよう。
  • 一人で考えて一人で決定する習慣を捨てよ!助けてくださいということも大事。

とのこと。

日本と韓国は、アメリカやアフリカのような分かりやすい貧困がないけれど、発展を続けるアジアの国々の課題先進国であるとクロージングの言葉でありましたが、だとすれば、私たちがどうやって生き方そのものが、これからのアジア、世界を創っていくメッセージになりうるのかもしれない、と改めて感じさせられる良い機会でした。

また、今回の参加団体に限ってみれば、日本と韓国の社会起業のノリというのが少し違う方向に向いているということも感じましたが、やっぱりキーワードは「楽しい!」でしょうか。楽しいとは、すなわち自分の心に素直になること。その習慣は、やっぱり現代人に欠けている大事なポイントだと思います。

2009年4月17日金曜日

言葉にすると


下の階に降りていくと、たまたまついていたテレビにユーミンが出ていた。歌手のね。

そこで、ふと耳にしたせりふ。

物質的な豊かさかから、精神的な豊かさ。
言葉にするととっても陳腐だけど、だから音楽があるのかな。

と、彼女はそう言っていた。
前後の文脈は全く分からないのだけど、この言葉ってやつはほんとに大事なことを陳腐にしてしまうのだ、そうなのだ。

そうなのですよ。
まさに。

大学の後半は、ほとんど、言語化の能力というのを私はひたすら追い求めていた(気がする)。
それは、それですごく必要なことだったけれど、今はまだ、言葉を使った表現者になるには言葉が足りないし、また違うツールを使った表現者になるには言葉に頼りすぎている気がする。

どちらかを磨くとしたら、そろそろ決めねばならない時期なのかもね。




まぁ、最近は、いろいろなことの反動でしょうか、田坂広志のよく言う、らせん状の弁証法(正確にはなんだか忘れてしまったけれど)的な進化が自分の中で起きているのがすごくよく分かります。

自分の後ろに続く、あれは、やだからこっち、ちょっとなんか違うからあっち、というやり方の変容というか、しかしやっぱり、あれの中でもこの部分は私にあっていたな、とか、やっぱりこっちもここはこう変えるべきだ、とか、いっぱいでてきて、今一生懸命自分のスタイルを作ろうしている、そんな気がします。
社会起業に出会ったのも、政治→ビジネスのジンテーゼだったわけだけど、この繰り返しは、ほんと果てしない。




積み重ねた経験の否定ではなく、その中から意味のあるものを掬い取り、再構成して、、、そんなことを繰り返しながら自分の人生を創っている、そんなイメージです。

うぅ、もう少しで、次が見えそうな気がするの。
ほんと、苦しい。

2009年3月12日木曜日

Book Log: 毛皮のマリー 血は立ったまま眠っている

毛皮のマリーは何度読んでもよいです。好きです。



マリー あたしだって実業家よ。
(と肩をそびやかして)
でもねおかねになるかどうかは、二の次の問題ね。人生は、どうせ一幕のお芝居なんだから。あたしは、その中でできるだけいい役を演じたいの。芝居の装置は世の中全部、テーマはたとえ祖国だろうと革命だろうとそんなことは知っちゃあ、いないの。役者はただ、じぶんの役柄に化けるだけ。これはお化け。化けてばけてとことんまで化け抜いて、お墓の中で一人で拍手喝采をきくんだ……




寺山修司『毛皮のマリー』2009年、角川文庫



他にもう一つ気に入ったのはここ。
(世の中の人はみな誰かの「代理人」であるという話の流れの中で)

中年の男2




そして私はまた、あなたの股の間に顔を埋めて「代理人」相応の、孤独な宝さがしにふけるって訳ですよ。(笑って)そう、映画の外でね。
つまり、世界の外でね、って言ってもいいかも知れないが……




寺山修司『さらば、映画よ』2009年、角川文庫



昔は、ただこの世界観が好きで読んでいただけの戯曲のことばのひとつひとつに、今は自分の見ている社会とリンクする何かをみつけることができるようになったのは大学に通ったおかげでしょうか。

誰かの作品に触れるということは、すなわち誰かの見ていた社会と思考回路を疑似体験するということなのかもしれません。
そして、同じ何かを見つめる人の作品には共感する。

そうやって人は自分の寂しさを紛らわせるのかもしれないですね。

2009年2月4日水曜日

Exhibition Log: ライト・[イン]サイト


ICC という、オペラシティの中にある美術館に行ってきました。

今は、
OPEN SPACE2008 という企画と、
ライト・[イン]サイト とい企画を二本立てで見ることができます。

ちなみに、ライトインサイト以外の展示は、無料で、無料ゾーンだけでもかなり楽しめます。

美術というよりは、技術を使ったアート作品というほうが正確で、おそらく様々なものを可視化しているところにポイントがあるのだと思うのですが、とにかくおもしろいです。

美術展は、割と無口に見て周る派の私ですが、今回は体感ベースのものも多かったこともあり「すごい、すごい」「おもしろい、おもしろい」を連発しまくりました。

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思考プロジェクタという作品は、その場で目の表面と奥(?)を写真撮影してくれて、それを壁の3面に映すという作品です。

で、家に帰ってそれを見ることができちゃうんです。
http://alien.mur.at/gedankenprojektor/archive.php

ここのチケットに、「2009020359」と入れると、私の目が出てきます。
見なくていいです。

**

新宿から一駅の初台にあるので、小一時間ほど都内で時間をもてあましたときなんかに行ってみるのもおすすめです。




2009年1月6日火曜日

WALL・E/I don't want to survive, I want to live.


見てきましたー♪

アニメってすごいのね。

なんか、イマジネーションの力、というのを体感した気がします。

映像が美しくて、鳥肌たっちゃった。

そして、WALL・EもEVEいびつな物体だけど、見慣れるとかわいいのね。

二体の純粋さにきゅんきゅんしてしまいました。

テーマとしては、環境汚染された地球、機械に飼いならされた人間、メタボな人々など現代社会の抱えるさまざまな問題が扱われていたように感じました。

その中でも、とりわけ心に残ったのがこの台詞。

I don' t want to survive, I want to live.


生き残りたいんじゃない、生きたいんだ。

無目的、無目標に生きるぐらいなら死んだっていい。

自分の人生を生きることが重要なんだ。

って、ことだよね、補足すると。

でも、これって「何問題」、って言うんだろう。

みんなが抱えている、生きることへの疑問や型にはめられて敷かれたレールの上を進むだけの人生の不自然さ。
なんだか誰もが持っているかもしれない違和感みたいなのを、社会問題としてタギングする人がそろそろ出てきてもおかしくない気がするなぁ。

でも、大事なのはそれを乗り越えた先にどんな未来を実現したいかをしっかり描くことなんだけどね?。