※ネタバレ注意
中、下、はものすごい勢いで読み進めました。
いやぁ、おもしろかった・・・!
▼読み終えての感想
業をなし終えたあとの、神のカメルレンゴへの沈黙がジャンヌダルクを彷彿とさせてなんか切なかった。
その篤い信仰心故に、奇行と思われるような行動をとり、それでいて神々しいまでの自信にみなぎる姿。
そこに、作者自身の善とか悪とかの判断を加えずに描写されていたので、ちょっと安心。
それでいて、科学の中に神を見るというのもヴィットリアの意見はいかにも現代的だなぁ、と。
カメルレンゴの行動は、人間の中にも“神的”な存在があることを証明しているよい例ともなりうるわけで、人が自分の力を、自分を超えた何かによって確信させられるとき、普通では考えられないような力を出したという現象、それこそが、まさに人間という生物を含めたところの自然の持つ不思議な力なんですね。多分。
▼なぜに、この小説はこんなにおもしろかったのか
サスペンス的な物語の展開とどんでん返し、あとはそれ以上にカトリックの話やイルミナティを扱っていることが人の知的好奇心を刺激するのでしょうか。
宗教的な話題って、全世界のほとんどの人が敬虔な信仰を失っている現代の野次馬精神に火をつけるだけでなくて、どこかでそのものを否定すること許されない禁忌に対する冒涜感があるのがまた読み手にスリルをもたらすんでしょうか。
これは、イタリアの美術を実際の舞台にした映画はまた違った意味で一見の価値ありそうですね。
と、思ったけどもう映画はやってなさげー。
ストーリーとはちょっと関係ないけど、思ったこととしては;
- 「神性」に対する興味
- 内省によっていたる境地は神性への到達足りうるのか
- 神性と精神性(スピリチュアルの世界)の違い
あたり。
ある種、現代の人間は、自分たちの力を信じてやってみよう!的な風潮の中にあるけれど、その動きというのは本当に正しいのか、というのがこれらの疑問の根幹にあると自分では思います。
つまり、神や、まぁ、よく言われるのは宇宙の力的なものを心から信じようと言ったときに、本当にそれは自分を超えた、いや、凌駕するほどの力を持つものであると感じ、「畏敬」の念を人は持っているのか?ということ。
この何を持っても超えることのできない凌駕する何かに頭を垂れる瞬間を人は自ら放棄し、偉くなったつもりになっているのではないか、とちょっと危惧したりするわけです。
まぁでも、百聞は一見にしかず。
荘厳な、そうでなくても、簡素でいて確固たる何かの満ちる場所、たとえば、教会はそう感じられるように非常に上手に作られている建物だと思うのだけど、に行けば心が洗われるような感覚を感じることができるわけなんですよね。
個人的には、教会みたいな神聖な場所は好きです。
たまに、行きたくなるよね。