※あと、15分ほどで家を出ないといけないのですが、仕事に入ったら今考えたことを忘れてしまうかもしれないのでさくっとメモ。
先日のFLEDGEのディスカッションテーマに「今の学び」と「未来の学び」は何が違うかというテーマがあって、ずっと「賢さ」とは何かというのが自分の中で引っかかっていました。ディスカッションの中では、私も含めて、極論を言えば、一般的な共通認識として「賢さ」=「生涯年収」という風に置いているような節があって、例えば藤原さんの言う「情報編集力」も、一般的に今の時代が必要としている「Creativity」も、それは今の社会でどうすれば生き残ることができるのかという問いから発せられるもので、それはすなわち勝ち残るという要素を強く包含している印象を拭いきれないでいたんです。
さて、そんなこともやもやを抱えていた一昨日、昨日でしたが、あるMLで流れたIターン者の言葉にその解の手がかりをみつけることができました。その人はMLの中で、おおよそ下記のようなことを述べていました。
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島にきて、農家の人たちにもっと経営な視点や努力が足りないというけれど、頭のいい人というのは農業なんて儲からないからそもそも農業に携わってはいない。彼らは、もっと違う動機、例えば「自分の食べ物は自分で作りたい」とか「土地を荒らしたくない」とかそういう動機で農業をやっている。
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この文章を読んだときに、「賢さ」は「賢さ」で、確かに必要だけれどもそれはやはり、国をもっとよい方向に持っていきたいというパッションだとか、実直に生きるということ、ともすれば幸せに生きるというのもまた「賢さ」とは別のものであるのだな、という印象を受けました。
賢さ(一般的な意味での)を求める教育もよいし、もっと違う何かを求める教育もあってしかるべきなのかもしれないと思いました。つまり、教育の求めるもの=賢さではない、ということ。あるいは、教育で育むべき「賢さ」そのものを、一体どんな風に捉えるかを徹底的に考え直す必要があるのかもしれません。
勉強会の中で山内先生が「あなたはどんな賢さが欲しいですか?」という投げかけをなさっていて見事に本質を突いた問いだったなぁ、と今更ぐっときました。
というわけで、タイムオーバー。会社、行きます!