2009年9月21日月曜日

Book Log: ビッチマグネット



野田秀樹の「ザ・ダイバー」を読もうと思って数週間前に買った新潮の9月号に手を伸ばすが、読みかけになっていた小説を先に片付けてしまおうと、同じく新潮9月号に掲載されている舞城王太郎の『ビッチマグネット』を読了。

いつだったか、2,3年前に舞城ファンになりそのときに出版されていた本はほとんど読んだってぐらいのはまりようだった。久しぶりに突入してみた舞城ワールドは、未だ健在で、そして、いったん引き込まれると途中でやめられない中毒性の強さはもう久しぶりに心地よい乗り物にのった感じでした。

彼の作品は表現がうまいとか、きれいなことを書いているというよりは、現代に生きる若者の気持ちを若者の言葉でうまく表現していて、ライトノベルという風に括られることもあるけれど、多分もっと一歩時代を先取りしている進んだ文学という感じがして私は好きなのです。







あ、で、とりわけこの本をブログでレビュー(ってほどでも、いつもないんだけど)しようと思ったのは、今日の午前中に読み終えた「甘えの構造」に通ずるものがあったから。

人は誰かにどこかで甘えながら生きていてそれが健全な状態である、土居さんの主張を、この作品はとってもうまく表している感じ。

ビッチ(な女性)ばっかりをひきつけちゃう主人公の弟も、その物語を演じているに過ぎないかもしれなくてその役割を認めていることそがすでにその物語の登場人物である他人に甘えているってことなんですよね、多分。

ほんと、まさに、そうなの。

さっきお風呂の中で気がついたのだけど、私が本を読むのもおそらく、本当はすでに自分の中にある回答の裏づけが欲しいだけで、本当に本の中に何かの答えを求めているわけじゃないということ。

それでもなお、私は本の中から答えを探し出す役割を演じていて、そういう役回りであることをよしとしている自分、そういう役回りが赦されるとどこかで思っていてそれ自体が甘えに基づく立ち居振る舞いなのだ、とはっとしたわけです。

あ、だんだん何が言いたいのか分からなくなってきたー!!

とにかく、舞城王太郎の作品はその書き方の斬新さに最初は圧倒されてしまうけれど、すっごい本質的なことを言っているということが言いたかったのです!

あと、「甘え」は、最近ではマイナス表現で使われることも多いけれど、人の構造として本来的なものである、という前提で使ってまーす。