2013年12月31日火曜日

Book Review: ユリシーズ


タイトル:若い芸術家の肖像(集英社文庫)
作者:ジョイス(Wikipedia
訳者:丸谷才一、永川玲二、高松雄一

半年以上をかけてユリシーズを読み終えて窓の外を見ると2013年最後の日の入りが迫っていた。まぶしく太陽を直視できなかったけれど、日が沈む前に読み終えることができて、気分よく2013年を終えることができることが気がした。

読み終えて数時間経った今となっても、ユリシーズについて何を書くべきか考えあぐねているのだけれど、いったんレビューを年内に終わらせることを目標にこのエントリーを書き始めてみる。

* * *

ユリシーズを読もうと思ったきっかけは、「若い芸術家の肖像」のレビューでも書いたように、多くの作家がユリシーズという作品に作品の中で言及していたからに他ならない。文学を愛するものとして、現代の小説に多大なる影響を与えている本を読まないわけにはいかないと思ったからだ。

若い芸術家の肖像を読み終えたのが5月ごろだとすると、ほぼ半年をかけてユリシーズを読んでいたことになる。もちろん、その間に他の本も読んだ。というよりも、正確には、ユリシーズの難解さに辟易して、もっと簡単で分かりやすくて、ストーリーのおもしろいものを読みたいと思って他の本に逃げていたのかもしれない。

ユリシーズの読み進めにくさは、その文章自体に依るものだと断言できる。

ストーリーはギリシア神話の「オデュッセイア」になぞらえて、ダブリンの1日を18章に分けて描いているのであるから大体時系列で起きていく。登場人物たちの数も重要人物だけを抑えればさほど多くない。

けれど、それなのに、であるからして逆に、延々と続く技巧的な文章、読むだけでは理解できないことを前提とされていることを示す膨大な注釈付きの文章の波に漂い続けていると海に入っているように頭の体力が奪われてしまう。決して眠たくなるような類の文章ではないのだけれど、能動的な読む行為を強いてくる上に、一度に読み進める量を制限してくる文章の密度。

ただ、ダブリンの一日を描くのに、こんなにも長い文章の羅列がなぜ必要だったのだろう。
18章すべてを違った文体で描き分ける必要はどこにあったのだろう。
なぜ、ジョイスはこの本を書いたのだろう。

読み終えたー!という達成感の他に得たものは、この作品への疑問ばかりである。これらの疑問こそが、読み終えて得ることのできる戦利品と言えるのかもしれないけれど。

ジョイスやユリシーズに関して研究された本も読んで近いうちにまた1章ずつゆっくりと読み直したいというのが今の正直な気分です。

2013年12月29日日曜日

One Short Day in the Emerald City! Musical Review: ウィキッド

エメラルドシティに行ってきました!(劇団四季のウィキッドを見てきました。)

Wickedがブロードウェイで上演された頃から歌は聞いたことがあったのですが、生で見るのは初めてでした。

明るい歌で特に好きな歌は、もちろんこれ。



「One short day」が、「こ、こ、は〜」ってなったので、日本語で歌ってみようとしたら、one short dayにここは、と当てるとin the が余ってしまってどんな風に歌われていたのか再現出来ませんでした。音楽的なセンスが皆無な私。。。。

あと、曲としてはこの曲も好きです。



その他、実際に見て気に入ったのはコメディ調のこの曲でした。



ミュージカル自体かなり久しぶりだったので、見ている最中は劇場ってこんなとこだったわーとか、ミュージカル楽しーなーとか、舞台ってこんなに光とかプロジェクションとか使ってたんだぁ〜と、新しい発見をしたりしていました。

観劇後にいろいろ思い出しながら考えていたのは、以下の2つのことについて。

「オズの魔法使い」があらゆる映画、劇作品に派生しているその強力なモチーフの源泉は何なのだろう?ということ。

元の作品もオズシリーズとして子ども向けの本として何十冊にも渡って刊行されているもよう。

今年ディズニーが制作したOz the Great and Powerful(オズ はじまりの戦い)は、オズの大魔法使いを主人公にしたお話だったけれど、グリンダ(良い魔女)がみんなに慕われている割にはなんだか少し抜けているような感じで、単純ないい人と思えなくて、その感じが今回の物語の結末としてのグリンダの生き方としてであれば納得いく感じがツボでした。(ただし、Wickedと照らし合わせるとお話の整合性はタイムライン的にとれないので、別作品として捉えるのが正しいのでしょう。)

一見単純そうに見えて、実は様々な心の葛藤を抱えたキャラクターたち、それにエメラルドシティという圧倒的な夢の世界のインパクトが長い間愛されるオズシリーズの魅力なのだろう、というのが結論です。

エメラルドシティ、一度行ってみたいし。

もうひとつ考えていたのは、上の話とも少し関連するのですが底なしに明るく、幸せそうの象徴の良い魔女として振る舞い続けることを決心したグリンダの人生についてです。

気になったのは、エルファバ(緑の魔女)が最終的に愛する人と結ばれるのとは裏腹にグリンダは友と固い約束をし、自分の魅力を最大限に活かしたアイドル的なエキスパートの道を選ぶことになっているということです。

Wickedは二人の女の子が友情と葛藤の中でそれぞれの人生を選び生きていく、女性の自立の物語と言えるのですが、相思相愛のパートナーを得られなかったグリンダは仕事に生きることになった、と表現することができるのです。

また、エルファバにしても愛する人との生活を手に入れるわけですが、そのお相手たるや昔のシンデレラストーリーのようなイケメン王子ではなく、歩くのもままならないカカシなわけです。愛を誓った人と生き抜いていくという言葉には今回の場合は否が応でも生活感を感じさせるものとなっているのです。

そんなわけで、Wickedに見る女性のあり方の2タイプは、実はとっても現代的で現実的、しかしどちらも強く生きる女性を描いているという印象を受けました。

Wickedで描かれたハッピーエンドの先に、ミュージカルを見た人の中で二人の主人公が、苦悩し成長しながらも生き続ける、良い作品だと言えるのかもしれません。

2013年11月30日土曜日

Book Review: ペドロ・パラモ



タイトル:ペドロ・パラモ(岩波書店)
作者:フアン・ルルフォ(Wikipedia
訳者:杉山晃、増田善郎

最初は何気なくお風呂のおともにパラパラ読んでいたのだけど、読み終えたら適当に読んだことを後悔するぐらいおもしろかったので読み終えた次の日に再び通読してみた。結末やお話の大体の構成を頭に入れて読むと、一度目には気が付かなかった細かなことにろいろな含みがあって、と思わずにやけてしまうようなよくできたおもしろい本。

「ペドロ・パラモ」は、フアン・プレシアドが母親の死をきっかけに父親であるはずのペドロ・パラモを探しにコマラという街に行くところからお話が始まっている。

読み始めてすぐに気がつくのだけど、時系列順に話が進んでいかない上に、出てくる人物が生きているのか死んでいるのかも判別がつかない。死後の土の中での会話まで登場するのだから、生きているのか死んでいるのかもはや関係ないのかもしれない。

途中まで読み進めると親を見つけ出してどうのこうのという話ではないことが了解されて、一気に物語の展望が開けるというか「ペドロ・パラモ」はまさにペドロ・パラモという男の大河ドラマであり、彼の強い悲しみとともに死の街と化したコマラの物語であるということが分かってくる。

ペドロ・パラモは女好きでわがまま放題の息子(ミゲル)の悪事を知らんぷりしたり、好きな女のためにその父親を殺したり平気でやってのける大悪党なのだけど、これがなぜか憎めない。女好きの裏に隠されたスサナへの一途な思いやラテンアメリカ文学特有の死生観がペドロ・パラモを運命に翻弄される男という印象に仕立てているからだろう。

おそらく大変よく練られた小説で、小さな断片にも精緻な仕掛けが施されている。何度読んでも毎回新しい発見を喜べそうな本である。

練られているついでの若干こじつけっぽい感じではあるけれど、ペドロ・パラモには冒頭でペドロ・パラモを探そうとするフアンと、暴れ者で父親より先に死ぬミゲルと、最後にペドロ・パラモを刺す役回りのアブンディオの3人の「父親」であり、「ペドロ」がスペイン語で「父」を表すpadreを彷彿させると名前であることに思いを馳せるならば、ペドロ・パラモの人生とコマラの街の苦い一生に、より深く心を揺さぶられるだろう。

2013年10月9日水曜日

Museum Log: レオナール・フジタ ― ポーラ美術館コレクションを中心に


※写真は、一昨年の展覧会の図録から。

ポーラ美術館で開催された展覧会も行ったことがあったので、時間の都合をつけて行くべきか迷っているうちに会期終了まで1週間をきって、やはりと思い行ってきました。

藤田嗣治の絵は、その第一の特徴とされる「乳白色」が好きで、展覧会などがあると可能な範囲で行ってきたし、旅行先でちょっと寄ってみることの多い地方の美術館にも一、二点は藤田嗣治の絵が収蔵されていることがけっこうあるので枚数で言ったらそこそこ見ているのでは、と自負していたのですが、今回の展覧会ではフジタの仕事場での作業風景などの写真がまとめて展示してあり、初めてアーティストとしての彼の生活に興味が湧いたのでした。

土門拳という写真家の撮影したフジタの家での作業風景は、物は少なく、すきっりとした清潔感があり、それでいて殺風景ではない。むしろ、温かみがあって、モノクロでもフジタ自身の哲学に彩られていることがありありと伝わってきて、あぁ芸術はこういうところでこそ育つのだな、と妙に納得してしまったのでした。

図録は出してもいいと思っていた値段を300円ほどオーバーしていたので、代わりにフジタの作業中の写真なども数点掲載されていた『藤田嗣治手しごとの家』という新書を帰りの電車のお供にしました。

本によると、フジタは生活で使う様々なモノ、陶器や洋服などを自分で作っていたそうです。「芸術家は宜しく芸術品を身に纏うべし」、と。芸術品すなわち高級なもの、ではなく、自分の手で丹精を込めて作ったものを芸術品と捉える考えもまた、素敵ですね。

いつかフジタの乳白色の絵を一枚でもいいから家に飾れたら!と思っていたのですが、フジタのように日々の生活を自分の好きな色、哲学に染めていくことで彼に敬意を表するのも素敵なんじゃないかと思えた展覧会でした。

2013年10月1日火曜日

iPhone5sにスマホを変更


iPhone3GSという丸っこいiPhoneからスマホユーザーになって、HTC Evo 3DというマニアックなAndroid機種に変更し、iPhone 5sに戻って参りました。

HTC Evo 3Dは音楽管理と非常に相性が悪かった(結局一曲も入れなかった)のでiPod touchにミュージックポーター(?)、カメラと(そこそこお値段のする辞書も!)の役割を押し付けていたので両方持ち歩く面倒が解消。仕事の関係で最新のiPod touchも常に併用していましたが、カメラの性能のよさの一点のみにおいてiPhone購入に至りました。

おしゃれアプリはiPhoneにしか対応していないものもありますが、アプリを楽しみたいというタイプではないので、ホーム画面のカスタマイズの柔軟性のだけをとってみても機能的にはAndroidの方がいいのですが…。

2年ぐらいはiPhoneユーザとなる予定ですが、次に機種を変更する時期にはAndroid意外は選択肢にない、と予想中。

ちなみに、カバーはかわいいのやら個性的なのやらいろいろ迷ったのですが、「iPhoneはコンピューター。Mac Book Airと値段も大して変わらないのだから、相応の保護をしてしかるべき。」というアドバイスを受け、お手頃価格で保護力高そうでシンプルなHighend berryのTPU(=Thermoplastic Polyurethane, 熱可塑性ポリウレタン)のケースにしました。


ポイントは、画面側のふちも盛り上がりがっていて、前面を下にして落下しても直接ガラスがぶつからないという点です。イヤフォンの部分やライトニングケーブル部分にもふたが閉まるようになっています。

iPhone自体のデザインが損なわれないのもいい感じです。

ストラップホールもあるので、ストラップ好きな方にもおすすめです。ただホールは右側なので右手で操作する場合はぶつかって邪魔になると思います。私はなぜかスマフォは左手でいじるのでかばんから引っ張り出しやすいようにストラップは装着。



iOS7も個人的には使いにくいなどはあまり感じないです。



明るさや音量、Wi-fiの状態を管理できるプルアップで出てくるこの画面はありがたいですね。今までなかったのが不思議でもあるのだけど。

* * *

iPhone5sのカメラでいろいろ撮るの、楽しみ!!な話題から派生で。

iPhone5sが発売されてすぐに、iPhone5sのスローモーションモードで撮影したこの動画がネットで話題になっていましたね。



他にもスローモーションで撮影されたビデオ、いろいろあるみたいです。

>> Fifteen more must-see iPhone 5S slow-motion videos

関係ないけど、このビデオを見てBGMに惚れてしまったので、調べたところ、Arvo Pärt(アルヴォ・ペルト)という現代の作曲家の「Spiegel im Spiegel」という曲でした。

思わずArvo Pärtの曲をAngèle Dubeau & La Pietàというヴァイオリニストを中心としたグループが演奏するアルバム買ってしまいました。6曲目のMozart-Adagioが大変お気に入りです。

Pärt: Portrait (Angele Dubeau Plays Arvo Part)

2013年9月24日火曜日

Book Review: 中米ブラックロード

タイトル:中米ブラックロード(彩図社)
作者:嵐よういち(Twitter

カジュアルな旅行記的な本はあまり読まないのだけど、タイトルの「中米」と帯に書かれいてた「壁には“ミッシング”の貼り紙ばかり ここは中米。現在最も治安の悪い地域」というキャッチにひかれて思わず買ってみる。



「中米」とは中央アメリカという地域でWikipediaによるとグアテマラ、ベリーズ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマの7カ国を指すそうだが、この本ではメキシコを含む(ベリーズを除く)7カ国を回っている。

ブログのような軽い文体だけれど、読みやすい。というか、著者の嵐さんとカメラマンのオガミノくん、他にも出てくる個性的な登場人物が破天荒さ、旅の面倒臭さと中米の危険度を感じさせる緊張感が半端なく伝わってくる感じが大変おもしろい。

もちろん、おもしろいというのは読んでいる分にはという但し書きつき。

強盗されるかも、下手したら殺されるかも、と思いながら誰もいない道を歩く怖さと言ったら…。日本で命をかけて実行することなんてほとんどないと思いますが、実際に中米危険地域に行ったら毎日が命がけでしょう。

アジアや中東でも十分に胡散臭い人には出会ったり絡まれたりしてイラっとしたことはあるけれど、さすが強盗に合いそうだとか人気がなくて怖いと思うほどの経験はなかったので危険地域というのはこんなにも緊迫感があるものなのか、、、とビビりまくってしまいました。

個人的におもしろいと感じたのは、グアテマラの自殺の原因が「失恋などのセンチメンタルな理由」が多いということ。生まれる地域が違えば思いつめてしまうほどの優先事項も違うんだなぁと。危険地域も住めば都とまでは言い過ぎですが、慣れてしまえば日常の一コマなんでしょう。

これを読めば、中米には絶対に行きたくなくなること請け合いです。

2013年9月2日月曜日

空と海と



熱海の海を眺めながら向かった先には伊豆高原でのとある開発合宿。

見上げても青い空なのに、雨がパラパラと降っている変な天気でした。

* * *

ものを取り扱わないWebサービスは、これからの時代は本業でやるよりも趣味でゆっくり育てていくのがいいな、という思いが強くなった合宿でした。私も何か作ってみよっと。

2013年8月28日水曜日

秋の花

ボヘミアガラスの花瓶に花を活けてみました。

意図せず秋っぽい色合いになりました。

2013年8月25日日曜日

favorites: 『ハーブ&ドロシー』、Sara Bareilles「Brave」、etc...

ハーブ&ドロシー


>> ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人

久しぶりに見たドキュメント映画。

所得的にも、体格的にも小さな二人が精力的にアート作品を集め、小さなマンションに押し込めていく。

最初は、現代アートを買ってみたいな、参考にしようと思っていたけれど、そういう軽い気持ちで見てはいけなかった。

彼らは、プロのコレクターであり、それも超一流のコレクターなのだ。彼らから何か学べることがあるとしたら、それは一流の人の振る舞いであり、彼らがアートコレクションに熱中し、情熱を持っているのかということ。



続編ももう出ているようなので、見てみようと思う。

>> ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの

Sara Bareilles


Sara Bareillesの「Brave」。元気になれる曲。



たまたま「King of Anything」を聞いて、リズム感のよさにぐっときて、Sara Bareillesって初めて何曲か聞いてみたけれど、日本のアンジェラ・アキみたい。



パティシエのりんごスティック



青森のおみやげでいろんな人に渡したもの。

一本150円で、青森のりんごの入ったスティック型のアップルパイが堪能できる。

箱買して、一人一本ずつ渡して、残りは自分で食べるという大人げないことした。

2013年8月20日火曜日

Doodle Jumpというゲームにはまる


最近、Doodle Jumpという単純なゲームにはまっています。

スマートフォン(AndroidとiPhone)に対応しているアプリで、どうやらKinectでも遊べるようですが、私はAndroidアプリで遊んでいます。


小学生でも楽しめるような簡単なゲームで、スマホの傾き検知機能をする加速度センサー利用して、謎のキャラクターがバーをジャンプするのを操作するゲームです。

最初はちょっと難しく感じるのですが、徐々にコツをつかむとすいすいと上の方に登っていけます。

大体私は、最初の数日はスコア5,000ぐらいずつ伸びるよになって、その後は30,000を超えたあたりで自分の中での熱狂的なマイブームが去り、それでも暇な時間にはDoodle Jumpをするという生活を一月ほど続けています。

最初は、このタコのようななまはげのような謎のキャラクターのせいで気が散るのですが、慣れてくるとこんなへんてこなやつでもかわいく思えてくるから不思議です。

また、ジャンプの舞台、すなわちゲームのスキンをいくつか選ぶことができてそれがまたかわいいのもツボです。

 
一番シンプルなのは最初に掲載したメニュー画面のスキンです。上の左のスキンはシンプルながらかわいらしくて私がいつもつかっているスキン。右側は水中のスキン。

この他にも、宇宙や竹やぶ、サッカー場、ゾンビ風など10種類ほどのスキンがあり、ゲームが進むにつれて増えてくる難関も少しずつ違っています。

好みで楽しめると思いますが、なぜかスキンによってジャンプバーの見やすさにだいぶ差があるので、高得点を狙うなら一番シンプルなスキンがベストでしょう。

GooglePlayからは無料版DL後、プレイ後に毎回表示される広告を消すのに¥99。
>> Doodle Jump on Google Play 

iPhoneでは、¥85で購入できます。
>> Doodle Jump on iTunes

暇つぶしに最適なちょっとしたゲームですが、加速度センサーを利用しているため電車の中で動いているときや寝転がってやるのには不向きですので、立って人を待っているときなんかにお試しください。

2013年8月18日日曜日

青森旅行紀


青森に行ってきました。

青森に行くのは実は、三回目で、一回目は中学の修学旅行での東北周遊、二回目は大学生のときに青森県立美術館で開催されていた「寺山修司 劇場美術館」と美術館併設の劇場で上演されていた「毛皮のマリー」を見るために。

修学旅行の方は行ったことすら、中学時代の友人に指摘されるまで気が付かなかったけれど、二回目の寺山修司おっかけ旅はよく覚えていて、深夜バス内泊2連続の0泊3日の一人旅であったのでした。

そのときのブログもあったのでリンク掲載。
>> 『毛皮のマリー』&寺山修司劇場美術館
>> 青森旅行写真

さて、本題。

今回の旅行は主に新幹線に乗ることと、涼しい場所=奥入瀬周辺で自然とたわむれることだったので、宿も移動せずに一日をゆっくり使えるような感じでまったりしていました。

自然と戯れる



誰もが撮りそうな「銚子大滝」。奥入瀬渓流の中でも一番大きい滝で、散策路にいても水しぶきを感じられる豪快な滝でした。


渓流に味を添える倒木。たくさんの木が倒れていて、そこに苔や草が生えている姿に美しさを感じました。


標高1011mのところにある御鼻部山展望台から見渡す十和田湖。曇っていたので、こんな感じでしたが気持ちよかったです。

芸術と戯れる



街の中に突然現れる十和田市現代美術館。展示室はそこまで広くありませんが、中庭なども有効活用していました。カフェなどは東京の美術館に負けないほどの盛況ぶりでした。


向かいの公園には、草間彌生氏の作品が。子どもが普通にこの犬に乗って遊んだりしてました。贅沢!!


ところ変わって、三沢市寺山修司記念館。ガイドブックにもどこにも載っていなかったのですが、奥入瀬から八戸に向かう途中の道路の標識で発見し、急遽行くことに。

写真は記念館の横にあった舞台。真ん中の人影が私。

常設展の一部屋だけの小さな記念館でしたが空間が効果的に使われており、寺山修司の本人が映った動画から、作品世界、年譜などがひと通り味わえる濃厚な空間になっていました。


また、記念館の裏口を出ると遊歩道があり、寺山修司のシンボル的な指の矢印を頭にのせた俳句の木碑に沿って歩いて行くと、この文学碑に行き着きます。

これまた、遊歩道の散策と文学碑から見える小田内沼の景色と寺山修司の俳句の世界を堪能できる大変よく設計された寺山ワールドとなっていました。

石碑の前の犬が読んでいたのはこんな句でした。
君のため一つの声とわれならん失いし日を歌わんために 
一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき 
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

番外編



寒立馬かな?


遅咲きの紫陽花と蜻蛉。夏と秋の共演。

旅のお供は、ちょうど旅行の直前に会った友達に勧められた青森県出身の太宰治の短篇集にしました。

2013年8月5日月曜日

Movie Review: 風立ちぬ



ジブリの最新作の『風立ちぬ』。そもそもあまり興味なかったのだけれど、周りの人の評判がいいのと、堀辰雄氏の同名の小説(部分的に映画の原作にもなっている)を読んだところなかなかに好きな小説だったので、映画館に足を運んできました。

結論から言うと、自分の中では大人向けの映画なのではないか、という印象であまり楽しむことができませんでした。途中で飽きてしまった…。映画館なのにそわそわして、周りの人ゴメンナサイ。

その映像の美しさやストーリー、キャラクターの描き方など文句のつけようもない完成度だと思うのですが、宮崎駿監督の作品では割りとファンタジーよりのものが好きなのと(それゆえ、予告を見た段階では行くつもりはなかったわけですが)、飛行機の美しさや設計思想への愛情というか執着への理解がほとんどできず、最後まで主人公の堀越二郎氏への感情移入に苦労したのが飽きてしまった理由かな、と。もっと分かりやすい芸術作品などの製作者の話だったら理解できたのかもしれないし、そもそも私の中に神がかり的なクリエイター気質がないために理解しえない映画だったのかもしれないし、それについては自分でも分かりかねるという中途半端な気分です。

また、主人公の葛藤、これは宮崎駿監督の葛藤そのものでもあると思ったのですが、この葛藤が葛藤のまま描かれていたのが、苦手な作品に分類してしまった理由なのかもしれないとも考えています。もう少しわかりやすく言うと、文学や映画の作品に、人のどうしようもなさを、最終的には受け入れて生きていくという人への愛のある文学や映画が好きなタイプなので(例を出すとすれば、最近見た映画では、ギャッツビーというイタイ男のお話は最高に好きだったりとか)、その愛の薄さが合わなかったのです。もしかしたら、宮崎監督なりの愛情が示されていたのかもしれないのですが、私の読解が追いつきませんでした。

ただ、この葛藤を映画のメッセージとして素直に解釈するのであれば、宮崎駿監督が美しく描き出している日本の世界のものづくりに対する渇望的な思いや自分のはかない生を一人の天才に捧げる精神、魂を込めて作ったものが自分の意図と分離して利用されていく作品への肯定、これら全てに監督自身が必ずしも同意していないという思いが込められているのではないかと考えています。

手放しの日本人への称賛がこの映画で起きるとすれば、それはまさに宮崎駿監督の葛藤をより深いものにするのではないか、と思っています。

* * *

作り手としての時間は10年しかない的なカプローニのセリフがありましたが、とすると宮崎監督自身が自分のことをどう捉えているのかがとても気になりましたが、少なくとも今回の映画では、二郎とカプローニの夢のイメージには大変感銘を受けたことは書き添えたいと思います。

それから、映画の中で何度か繰り返された、「ルヴァンスレーヴ、イルフォタンテドゥヴィーヴフ」、ヴァレリーの詩の最後の一節を引用したいと思います(原文はここを参考にしました)。
Le vent se lève! . . . il faut tenter de vivre! 
L'air immense ouvre et referme mon livre, 
La vague en poudre ose jaillir des rocs! 
Envolez-vous, pages tout éblouies! 
Rompez, vagues! Rompez d'eaux réjouies 
Ce toit tranquille où picoraient des focs!
                               - Paul Valery, Le cimetière marin

    (意訳)
    風が吹いた...生きようとしなければいけない!
    大きな風が本のページをはためかす。
    波は砕け、岩を打ち砕こうとしているではないか。
    魅惑的な本を読むのはよそう!
    さあ、喜び踊る波で、打ち砕こう。
    三角の帆が揺れる、静かな屋根を。


2013年7月7日日曜日

Book Review: ゲド戦記


タイトル:ゲド戦記 全6巻(岩波書店)
  1. 影との戦い
  2. こわれた腕環
  3. さいはての島へ
  4. 帰還
  5. ドラゴンフライ アースシーの五つの物語
  6. アースシーの風
作者:アーシュラ・K. ル=グウィン(Wikipedia
訳者:清水 真砂子

6月と7月の頭にかけてゲド戦記を読んでいた。

昔から、思い返せば小学生ぐらいの頃から本の存在は知っていたのに、その名前(ゲドという音の響き)から、言い知れぬ怖さを感じて敬遠していたのだ。ジブリで映画化もされているのも知っているけれど、これも見ていない。

最初の「影との戦い」は、ゲドが自分自身の影を呼び出してしまい、その影を取り戻す旅という言ってみれば鉄板のファンタジーのプロットの物語である。海を縦横無尽に船を使って駆けまわり、ゲドと一緒にアースシーという世界の広さを感じながら冒険することができる。

けれど、二巻目の「こわれた腕輪」からはいわゆる冒険モノのファンタジーとは少し様相が変わってくる。

そもそも、ゲド戦記と銘打ちながら、第二巻の物語の主人公はゲドではなく、テナーという魔法使いを信用しない地域の人々の巫女の話になる。テナーの冒険は、地理的な広がりはなく、地下世界というミステリアスな舞台はあるものの一人の女の子が自分自身と向き合うことで精神的な自立を獲得していく様子が描かれている。

第三巻の「さいはての島へ」は、再び大賢人ゲドの活躍と新たな主人公でありハブナーの王となるレバンネンの冒険の物語であるが、ゲドの役回りはレバンネンのメンター的なところに移り、ゲドが物語にもたらす価値は魔法そのものの力ではなく大魔法使いが学んだ世界の真理が言葉や佇まいから語られることにある。

第四巻の「帰還」は驚くべきことに、ゲドは魔法の力を失っている。この本の主人公は、ゲドの帰りを待つテナーであり、テナーがその生命を救い娘として育てている右上半身を焼かれたテハヌーの物語である。二人はともに暴力や力に怯える女として描かれている。読み進めても胸躍る冒険もなければ分かりやすい教訓もなく、うつうつとした気分になると言っても言い過ぎではないだろう。

第五巻は、表題作であり次六巻につながる「ドラゴンフライ」を含む5つの短編から構成されていおり、アースシーの魔法の力を持つ人々を中心に描かれている。「ドラゴンフライ」は、竜でありながら人間の娘として生まれついたアイリアンのお話で、ロークの学院すなわち魔法使いたちの権力世界が揺るぎ始めていることが感じ取れる。

最後、第六巻は魔法使いの力を信じ、レバンネン王を擁するアーキペラゴの人々とカルガド帝国の人々、さらに竜を含む3つの人種(種族)の人々がアースシーの均衡を取り戻すために試行錯誤する物語になっている。ここでは、1〜5巻で語られていた魔法と魔法使いたちの影響力そのものに疑問が呈され、新たな均衡がもたされる形で物語が終わっている。
長は言った。「竜は自由に生き、残された私たちは自らの選択を引き受けていく。それしかないのではないでしょうか。」
 「善と悪に線を引くことを選びましたものなあ、わたしたちは。」オニキスが言った。
 「ものをつくり、形にしていくよろこびも。わたしたちが獲得してきたものといったらたいしたものです。」セペルが言った。
 「そう。それに、欲の深さも、弱さも、不安も。」アズバーが言った。
(アースシーの風より) 

新たな時代が幕開けしたことだけは確かそうで、もしかしたら、魔法は消えた(ていく)かもしれないけれど、今後のことは分からない。

最初は一人の少年ゲドの視点から捉えられ大きく広いと感じていたアースシーの世界も、徐々にその規模に慣れてくる。聞き慣れなかった架空の地名に馴染んできたという読者的な事情もあるだろうが、慣れてしまえばアースシーだけが世界ではないことも自ずと承知されてくる。竜が西方に飛び去り、人が変化と覚悟を受け入れることが自然なことに思えてきて、魔法の消失を感じさせる喪失感ともとれるような読後の心のしこりには新しい世界に飛び込んでいく前夜のような緊張が間違いないく交じっている。

ファンタジーと言えば、小学校の頃に大好きだったナルニアを昨年あたり読みなおしてみようと思ったら、3巻目の朝びらき丸あたりから飽きがきてしまった。ゲド戦記も文章自体は平易な部類に入るかもしれないが、大人でも最後まで飽きることがない物語だ。岩波少年文庫からの出版だけれど、本作は読む人によって多様な感動を得られる、読者を限定しないファンタジーなのだろう。人間の普遍的な心の問題を描いていること、生と死の問題、愛、日々の生活の充足への賛歌を描き出していることを考えればむしろ、ゲド戦記は大人のためのファンタジーと言ってもいいのではないかと思う。

2013年5月12日日曜日

Book Review: ものすごくうるさくて、ありえないほど近い


タイトル:ものすごくうるさくて、ありえないほど近い(NHK出版)
作者:ジョナサン・サフラン・フォア(Wikipedia
訳者:近藤隆文

少し前のことだが、3月の頭に六本木で開催された、「文芸フェスティバル」の一つのセッションに行ってきた。『恥辱』のクッツェーや、谷川俊太郎の自作の朗読と、翻訳家の柴田元幸氏のコーディネートで『TOKYO YEAR ZERO』のデイヴィッド・ピース氏、『乳と卵』などで有名な川上未映子氏、そして『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』のジョナサン・サフラン・フォア氏の対談セッション。

恥辱は、先日レビューした通りで、川上未映子氏のいくつかの作品とTOKYO YEAR ZEROは読んだことがあって(谷川俊太郎氏の詩については言わずもがな。柴田氏の翻訳作品にも数えきれないほどお世話になっている!)、フォア氏の本だけ読んだことがなかったのだけど、文芸フェスティバルの対談の中で一番心動かされたフォア氏のお話だったので、彼の作品も読んでみることにした。

本の感想の前に、セッションで受けた印象を先に述べておくと、ジョナサン・サフラン・フォアという人は、非常に純粋な人という印象だった。

作家としての彼のスタンスは次の通り。「作品にはメッセージもなければ、問題の解決の糸口の方向性どころか提起しようという気もない。自分が書いたものが誰かに共感されることが、ブロガーや作家との一番の違いであり、作品を書ける幸せだ」、とも。

なんともかっこいいコメント。

作家本人の口からコメントされた本について読むのはなかなかできない体験なわけだが、ひとまず作品にはフォア氏本人の言葉を念頭に置きながらも、作品に没頭することが可能な、小説として十分に満足な経験を提供してくれる本だったと思うし、読みやすくてなおかつ実験的な文章を楽しむこともできる素晴らしい作品だった。彼のファンになった。

「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」は、911のテロで父親をなくした9歳の少年オスカーが、父親の部屋にあった鍵が開くものを探してニューヨーク中の「Black」さんを訪ねて回るというお話。

話は少年の冒険が中心だが、WWⅡ中のドレスデンの爆撃を経験した祖父母の手記も交りながら、大切な人を失った人々がいかに生きていこうとするのかが描かれている。途中ほんの見開き程度の分量だが広島の原爆投下の描写もあり、この話が911後の特別なストーリーではなく、日本においては311も含むある種の受け入れがたい国民的な出来事による喪失と回復への道のりが普遍的なものであると示唆されている。

けれど、何よりもこの本で心動かされるのはオスカーの息苦しくなるほどの健気さであり、それを見守る大人たちの優しさとオスカーへの愛、そして人間味あふれる身勝手さだ。人は本当に身勝手で、そして愛情深くなることができる不思議な生き物だとじんわりと教えてくれる。人って愛しい!文学って素晴らしい!!

もう一点、この本で特筆すべきなのは、インターフェイスが読み手に与える影響に徹底的にこだわっていること。本の制約に日々いかに囚われているかということに気づかされる。ストーリーとは別のところで、おぉ!と、その効果的な使い方に感動して叫んでしまう自分がいたりもした。

ちなみに、映画も見たけれど、こちらも素晴らしい作品なのでおすすめ。でも、時間があるならぜひ本の方を読んで欲しい。

 

*フォア氏のTree of Codesという作品の紹介ビデオ。こちらも斬新でとてもおもしろそうです。

2013年5月6日月曜日

Book Review: 若い芸術家の肖像


タイトル:若い芸術家の肖像(新潮文庫)
作者:ジョイス(Wikipedia
訳者:丸谷才一
ぼくの魂は、少年時代という墓場から立ちあがり、その屍衣をぬぎ捨てた。そうだ!そうなのだ!同じ名を持つ偉大な工匠のように、魂の自由と力から誇らかに創造しなければならぬ。生けるものを、新しく天翔ける美しいもの、精妙にしてしかも亡ぶことのないものを。
海外の文学作品を読むのは大好きなのだけれど、あまり体系的にその系譜などを学んたことがない私にとっては(というか、そういう解説などの本をあまり大人しくよむことができない)、作中で引用されていた作品やパロディなどから、世界の作家たちがどんな本を読んでいるのかを探っていく感じに次に読みたい本を決めていく節があって、ジョイスという偉大なアイルランド人作家がいるらしい、「ユリシーズ」というのは名作らしい、といろいろな本を読むにつれ了解されてきたので、さすがに名前ぐらいは知っているこの本に取り掛かろうかと思ったのだけれど、アマゾンで調査したところ1,000円を超える分厚いに違いない文庫が4冊もあり、尻込みしていた。

ならば、まずはジョイスとの相性を知ってからこの大作に挑んだほうがよいだろう、ということで手にしたのが「若い芸術家の肖像」だった。

主人公スティーヴンのアイルランドでの幼少期から大学生時代までを描き、この感じやすい少年が厳格なカトリックの教育を受けながらも、その思想との折り合いに悩み、芸術への道を志す旅に出るまでを描いている。

驚いたのは、この作品の完成度の高さだ。ジョイスの最高峰はユリシーズだと思っていたのに…。文体の美しさは訳者の功労も大きいのだろうが、才能がある天性の作家の文体であることを主張しながらも、巧妙なバランス感が全体を通して感じられる。ストーリー自体は手が込んだものではないけれど、それ故に作品としての芸術性の高さ、小説としての完成度の高さを見せつけてくれてる。

これぞヨーロッパの文学の醍醐味、といった感じ。

それから、この少年の感じやすさ、啖呵の切り方、もう自分に重ねちゃって共感しまくりでした。カトリックの教育(私のはそんな厳格じゃないけど)を受けながらも、否定はせずとも自分の信仰として受け入れることへの抵抗感や、少年時代のためらいがちな人間関係の作り方、頭で考え過ぎたために起こる社会への無駄な対抗心などなど…。

いつも思うのだけど、こういう芸術家志望な青年に似ていると思うのは、読者の誰でも自分の若い頃に似ていると感じるのか、それとも、私が本当にこういう傾向があるのか、どっちなんだろう…、と。

いずれにせよ、こんな本に出会えて私は嬉しい。



新訳も出てる!
読み比べとかしてないのでどちらがいいかとかは、分からないけれど。

2013年4月25日木曜日

Book Review: abさんご


タイトル:abさんご(文藝春秋)
作者:黒田夏子(Wikipedia
道が岐れるところにくると、小児が目をつぶってこまのようにまわる.ぐうぜん止まったほうへ行こうというつもりなのだが,どちらへだかあいまいな向きのことも多く,ふたりでわらいもつれながらやりなおされる.目をとじた者にさまざまな匂いがあふれよせた.aの道からもbの道からもあふれよせた.
75歳での芥川賞受賞作ということで前から気になっていたのだけど、本屋でみつけて、その帯に映る著者ご本人の写真に魅せられて思わず買ってしまった。

内容は、母親を早くになくした子と父親の生活が家事がかりによって徐々に、大きく変わっていく様子を描いているもの。

思い出のシーン(断片)を描き出すことによってその全貌が少しずつ見えてくるという構成で、文章も非常に独特なのですらすらと読める類の本ではない。けれど、文章は丁寧に書かれたものであることが伝わってくるし、一つひとつの章が子どもの頃に見ていた世界や空気感をうまく捉えていて非常に懐かしい気持ちになれる。

さらに、本エントリーの冒頭に引用した文章、「abさんご」の最後の文章を読むと、人生(あるいは、人生の記憶)への著者の全面的な肯定と愛を感じて幸せな気分になれる。

2013年4月13日土曜日

Book Review: パズル・パレス

タイトル:パズル・パレス(角川文庫)
作者:ダン・ブラウン(Wikipedia
訳者:越前 敏弥、熊谷 千寿
スーザンはしばし黙考した。はっきりとは指摘できないものの、何かがちがう気がしてならない。タンカドは明快さゆえに高く評価されていたい。その論証やプログラムは、どれも明快にして唯一無二のものだった。スペースを省かなくてはいけないというのはどうも奇妙だ。些細なこととはいえ、それは欠陥であり、けっして明快とは言えない。自分の思い描く、エンセイ・タンカドの究極の一撃とはちがう。
小説、映画ともに大ヒットとなった「ダ・ヴィンチ・コード」や「天使と悪魔」で有名なダン・ブラウンの処女作。

NSA(国家安全保障局)の巨大暗号解読機「トランスレーター」は世界中のあらゆる情報を傍受し、解読を行い世界が混沌に陥るのを防いでいた。そんな中、「トランスレーター」では解読が不可能な「デジタル・フォートレス」が元NSA職員のエンセイ・タンカドによって実装され世の中にでまわろうとしていた。それを阻止すべく、NSAの暗号解読官スーザンとNSA副長官のストラスモア、スーザンのボーイフレンドで大学教授のデイヴィッドが緊迫感の高い状況の中で「デジタル・フォートレス」の全世界への公開を阻止しようとするが、ストラスモアには秘密があって、スーザン、デイヴィッドは窮地に陥る。

と言った感じのあらすじなのですが、文庫上下巻をあっという間に読めてしまうスリル感とおもしろさはこの頃から健在!!

人間は、誰しも弱みを持っており、そのことで人生をかけて築いてきた地位さえも危うくさせる間違った(あるいは、初めて自分に素直な)決断をすることで、ドラマが生まれるんだという、ちょっとした真理も含まれています。

2013年4月2日火曜日

アンティークは偶然に

家の近所にアンティークジュエリーを扱うお店があって、ほとんどお店を開けていないのだけど、ときたま開催されるセールに顔を出すのがここ数ヶ月のささやかだけれど大きな楽しみになっている。

お店との最初の出会いはひょんなことからだった。いつもはシャッターの閉まっているおしゃれな路面店で、店名からカフェか何かだと思っていたのだけれど、たまたま扉が見えたので中を覗きこんでみたら店主が内側からみつけてドアを開いてくれた。

そこで初めて、このお店がアンティークジュエリーや食器を扱うお店だということを知り、まるで小説の中のアンティークショップさならがの雰囲気と、ヨーロッパでブティックをしていそうな女店主の井出達に魅せられた。

セール期間中しかほとんど開いていないのもあって、セールのはがきが来るたびに訪問し、お茶とお菓子をいただきながら私に合いそうなものを見繕ってもらい、この2点が私の初アンティークジュエリーとなった。



最近のダイヤの代用品といえばキュービックジルコニアで、これはぱっと見ではダイヤモンドと見分けがつかないけれど、マーカサイトにはダイヤの「模造品」であることが明示的であるが故の遊び心がある。200年近く古いものなのに、おしゃれを楽しんでいる若い人の感性みたいなものが感じられてなかなかいい。

もうひとつ、アンティークジュエリーを手にして思ったことは、ものは世代を超えて所有者を変えて巡っていくのだということ。

最近はやりのビブリア古書堂じゃないけれど、このアクセサリーがどんなストーリーでここまで来たのか想像してみるとなんだかわくわくする。制作されたヨーロッパから遠く離れた極東まで旅してきたアクセサリー。

もちろんきれいなパッケージに入っている新品の指輪を買ってもらったら自分のものとして一生大事にしたいと思うけれど、世代を超えて私の手に渡ってきた明らかな「お古」のアクセサリーは私の手に渡るまでに何度もプレゼントになった特別なものかもしれなくて、そんなことを考えていると想像が尽きなくて、私の次の所有者もきっといるという確信も持てる。

* * *

後から分かったことには、お店が開いていても店主が店に出ていることは少なくあのときみつけてもらってドアを開いてもらったのは本当に偶然だったということ。

アンティークジュエリーショップだったらこういう感じだろうと思い描いて通りのお店だったので、そういうお店との出会い方だったらかくあるべしといったイメージ通りに偶然の出会いというおまけまでついていたのだろう。

2013年2月3日日曜日

ダンスの伝道師、ユーコ・スミダ・ジャクソンさんのTED Talk

昨年11月に参加したTEDxSeedsのトークの中で一番インスピレーションを受けたのが、ユーコ・スミダ・ジャクソンさんのお話でした。

その動画が公開されていたのでシェア。



テーマは「ダンスが私に教えてくれたこと」というお話だったのですが、何よりも魅了されたのは、ユーコさんのおそらくは普通の人よりも「進化」を遂げている「身体」の不思議さでした。

お話の節々で明らかにされる、進化した身体の感じる感覚、魂のお話で自分の普段感じたことのない世界を見せていただきました。

イベント内のパフォーマンスでユーコさんのダンスも拝見できたのですが、手術後半年動けないと言われていた一ヶ月前の手術の話は本当だったのか?と不思議になるほど滑らかな動きに圧倒されてしまいました。(良いダンスを表現する的確な表現を知らないのがもどかしいですが…)。

久々に見て、自分のことを信じて、明日からまた自分の仕事や毎週のトレーニングを頑張ろうと思えるような元気をもらいました!!

Talkの中で触れられていた、マイケル・ジャクソンのWill You Be Thereの動画も併せてどうぞ。



2013年1月14日月曜日

雪景色の写真を撮ってきた!!

雪だーということで、きれいな雪景色を求めてカメラ片手に散歩してきました。 寒いのと、吹雪がカメラにも容赦なく吹き付けてくるのが怖いので15分ほどで撤退しましたが…。

まずは、ベランダから。吹雪いてる、吹雪いてる。



外に出てみると、誰も踏んでいないところの深さはこのぐらい。
近年まれに見る大雪感が漂っています。



いつもの公園が別世界。



木も幻想的。



人がほとんどいないのと、音が雪に吸収されるのとで、楽しい!楽しい!とひとりごとを大きな声で言っても問題ないのが自分的には一番楽しかったポイントでした。



分かったこととしては、吹雪でなくて雪景色を撮るなら雪が止んだ後に行くのが正解ということでしょうか。 雪が降ってるうちは、お茶でも飲みながら家でまったり本でも読みます。

2013年1月1日火曜日

2013年: あけましておめでとうございます

新年、あけましておめでとうございます。

昨年中は、大変お世話になりました。

2012年は、自分で言うのもなんですが、自由奔放で、だいぶ風変わりな私を受け入れてくれる身近な人たちに愛され、助けられていることを日々実感した年でした。

2013年は、大人にならなきゃとか、人並みにあれこれしなきゃというような既成概念に囚われることなく、自由人として、周囲の方々の期待に応えるべく精進して参る所存です。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

こたつに潜る(めでたい)犬の尻尾