大江健三郎氏が何かのエッセイで、通年で一人の作家の本を読むことがあるというエピソードを書いているのを見て、中学生の頃からなんかかっこいいな、という憧れがあり、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』に出会ったのをきっかけに「マルケス全集を読み切る」というのを2012年の目標の一つに設定したのでした。
自伝の『生きて、語り伝える』を含む全集を読み終えた今となっては、恋人と旅行に行って、日常生活に戻っていくときに感じる心の空白みたいなのを感じるぐらいにはマルケスとの2012年は心躍る1年間だったようです。
※全集を左から年代順に並べみました。
一冊ずつのレビューではなく、全体を読んで感じたことなどをまとめておきます。
マルケスも最初から「マルケス」ではなかった
最初は、本屋にあるのを片っ端から買って読んでいこうと思っていたのですが、初期の作品と後期の作品の明らかな違いみたいなものがわかってからは、書かれた年代順に読むようになりました。
どれも素晴らしい作品だと思ったけれど、やはり一人の作家の成熟というのを感じられるのも興味深かったです。どの作品も、もちろん他の誰も追随はできないのですがあえて言うならば初期の作品は、文章が技巧的で物語もなんだかわざとらしいという印象を受けてしまうのに対し、『迷宮の将軍』あたりから長編小説家としてのマルケスの本領が発揮されているのがよくわかります。
最も有名な『百年の孤独』をマルケスのマジックリアリズムの完成形とするなばら、ノーベル賞作家でも初めから完璧な語り手でも、洗練された技工の持ち主でもなかったということを伺い知ることができます。
このことは、人がライフワークとして取り組むべき仕事に最初から完全などないということを教えてくれ、また、時とともに変化すること、歳をとるというのは素晴らしいことなのではないか、という示唆をくれました。
抜群のセンスで書かれた長編小説
良い長編というのは、なぜか静かな感動を運んでくれる、と私は信じています。それは小説の内容に感動するかどうかとは関係なく、言葉で紡がれた世界をくぐり抜けたときに感じる心の動きで、本好きな人になら経験のある感情ではないかと思います。この種の感動は本の長さと相関がゼロではないけれど、小説の質とは深い関係があるように思います。
数年に一度こういう小説に出会えれば結構満足していたのですが、『迷宮の将軍』『百年の孤独』『コレラの時代の愛』でこの感動のようなものが起きました。マルケスの長編には小説を芸術作品に押し上げる真っ向勝負のセンスがあるようです。
南米の緊迫感と日本の緩さ
マルケスに限らず、ラテンアメリカ文学(日本語訳されている一部の良い作品にだけ触れているということもあるのでしょうが)にみなぎる躍動感や物語の多様性、詩的なできごとは日本の小説にはなかなか見られないので、なぜラテンアメリカの文学が好きなのか?という漠とした気持ちをマルケス読破を通して解明したいというのが今回の一つのテーマでもありました。
その理由の一つはラテンアメリカ文学が発展を遂げた社会的背景にあることが先日解明したのですが(その理由についてはこちらの記事を参照してください。 -
Book Review: 魔術的リアリズム -20世紀のラテンアメリカ小説-)、それ以外にもマルケスの小説を読んで感じたのはラテンアメリカの社会的、環境的背景からくる緊迫感のようなものかな、と思いました。
現代の日本では、夜暗い道を歩いていて襲われることもなければ、変なことを言ったからと言って、村八分にされたり権力に抹消されることもありません。日本では様々な選択をせずとも(先送りにしても)生きていけるのです。しかし、マルケスの小説に生きる人々にとっては、物理的に生活することは何かを選択することであり、間違った選択は貧困や死をもたらし、たとえ正しい選択をしたとしてもすぐにまた新たな選択を行わなければいけない状況に置かれている印象を受けます。
『生きて、語り伝える』を読むと、マルケスの小説の着想、逸話のほとんどが彼自身の体験と親族から語り聞かされた物語から構成されていることに驚かされます。マルケス自身が人々から語られる不思議な世界を生き、それが文字になったのが『落葉』であり、『百年の孤独』なのです。
この例からもわかるようにあらゆる芸術作品は、抑圧や愛など、あらゆる方向からの作者のオブセッション(脅迫観念)に起因するものが多いと思いますが、日本は身体的に脅かされることがほとんどないので、作品が精神面を描く内容に偏りがちになります。個々人の体験というよりは、意識や精神の下部の注目し抽象化したものを、具体的な物語として扱うとどうしても似たようなテーマにならざるを得ないのではないでしょうか。
ファストブックと本当の小説と
マルケスを読みながら考えていたのは、日本でヒットする本のほとんどはファストフードならぬファストブックなんだなぁ、ということです。世界のトレンド自体もそうなのかもしれませんが...。
サスペンスとしてのドキドキ感やストーリーの感動はよく売れている本にならたいてい含まれています。私もそういうのが好きでマルケスを読む合間にサスペンスなんかを電子書籍でよく読んでいますが、その本を読んで何かが自分の中で変わるほどの衝撃や新しい出会いをもたらしてくれるものはめったにありません。わくわくするエンターテイメントか人生のちょっとした学びをもたらしてくれる本がほとんどです。それらの本は数年後に思い出そうとしても似たような本に埋もれてよく覚えていないわー、となってしまったりします。
一方マルケスやその他の古典的名著と呼ばれるカテゴリの本は、仕事で疲れているときには頭が受け付けないことがあったり、この本おもしろいかも、と思うエンジンがかかるまでに忍耐を要求してきたり、ときにはタイミングがあわずに読み進めることすらできないことが少なくありません。ただし、一度読みきればふとした瞬間に本のシーンを思い出したり、不思議なことになぜか覚えていた一行にこめられた深さに突然思い当たったり、またあの本を読みたい、と思える時が巡ってくるという特典がついているのです。これは人生の最高の楽しみの一つと言っても過言ではないのではないでしょうか。
小学生の頃には、本を読むことはほぼ勉強していることと等価として我が家では扱われていました。その頃読んでいたのはもちろん児童文学の棚にある本でしたが、今は幅広い本棚を相手にして本を選ぶことの難しさを実感しています。脳に刺激を送るためだけの読書にならないように、本好きとしてはファストブックでない本にたくさん出会っていきたいという思いをこれからの本選びの指針に据えたいと思います。
最後に…
ラテンアメリカ文学はマイナーな分野なだけに日本語翻訳をする人も限られているのですが、どの翻訳者の方も良い翻訳をしてくれているので、マルケスの全集も安心して読むことができました。
長々と書いてしまいましたが、マルケスの本を読みたいという方がいれば、『百年の孤独』は絶対におすすめできます。
※余談ですが、2012年の中国の海外作家印税ランキングで『百年の孤独』は2位につけてますね。
http://www.chinadaily.com.cn/china/2012-11/29/content_15972558.htm
長編なら『コレラの時代の愛』は恋愛小説なので非常に読みやすいのでこちらもおすすめ。
個人的には、『わが悲しき娼婦たちの思い出』は、老人文学?というのでしょうか、年老いた人からの視点で描かれる珍しい小説ですのでおもしろく読むことができました。
どの本もお高いのでお知り合いの方には、貸し出しいたします。
『生きて、語り伝える』の続編を期待しつつ、来年はどの作家の本に取り組むか、取り組まないかを検討中の今日この頃です。