2010年に起きた大阪の二児餓死事件をベースに描かれたフィクションです。
あらすじは、二人の子ども何日も部屋に放置して死なせた蓮音と、その母親の琴音、そして死に向かう子どもたちの状況を3つの視点から書いています。琴音はその母に暴力をふるう父親を見殺しにし、母が新たに連れてきた男に性的虐待を受け、精神を病みます。いったんは結婚し幸せな家庭を築くものの精神を病み、蓮音を含む三人の子どもを置いて家を出ます。
母が家を出たあと、世間体ばかりを気にして何もしない父親に変わって、小さい弟と妹の面倒を必死に見る蓮音。彼女もまた地元の男たちの都合のいい女として暴力的に扱われるのです。そんな中、大学に通う育ちのいい音吉と恋仲になり結婚し子どもも産むものの、夫とのすれ違いから破壊的な行動に出てしまい…
基本は、海外文学ばかり読んでいるのです自分が母になったこと、目黒区の虐待死のニュースなどを見るにつけ、表面的な報道やコメントでもあまりにも考えるきっかけにならないと思いこの本を手に取りました。
子どもが産まれて体力もない中で誰かの手助けも少なく、眠れない、まともなものも食べられない状況になったら誰でも自分の子どもに手をあげることがあるかもしれません、感情的になって怒ってしまうこともあります。大変な子育てが虐待と紙一重であるという事実に共感すると同時に、衰弱した子どもを放置し続ける、暴力にさらし続ける、、と言った一線を越えてしまった先の極限状態を継続させるイメージを持つことができないのが正直なところでした。
今回の本を読んで分かったのは、子を死なせた母であろうとも子を愛していたということです。お話に出てきた蓮音は、子どものためにしっかりしなきゃと自分に言い聞かせます。子どもに愛の言葉をかけじゃれあい、子どもが自分に無償の愛をくれていると気がつくと、はっとするのです。そこにいたのは、不器用だけれど、愛に溢れた母でした。
一方で、私が最も異様さを感じたのは、蓮音の生育と周囲の環境でした。
人は誰しも親や友達、保育園、働く場所、住む場所などをセーフティネットとして持ち合わせていると思うのですが、そのセーフティネットの質、あるいは量が人を踏み止まらせるきっかけとして作動するかどうかの環境と、その網でいかに自分を立て直す選択をできるかという考え方の傾向など(生育)があまりにも悲劇的だったと感じました。
蓮音の周りにもときたま現れる救いの手になるかもしれない何か。それがもっと頻繁でもっと彼女に寄り添うものあるいは気軽なものであれば…あるいは、彼女がもっと何かするとか、プラスアルファのことである必要すらなく、彼女がもっと投げやりで、彼女がもっと早くい段階で子育てや結婚生活を投げ出していただけでも…と考えずにはいられません。
それと同時に、何かが変わって子どもたちが死ななかったとして蓮音親子が幸せに暮らせていけたのかと考えることもなかなか暗い気持ちになってしまいました。虐待死は母親の責任には違いないけれどどこかタイミングやちょっとした差異の問題で表出する問題のような気がしていて、一度深みに入り込んでしまった人々の生き辛さや劣悪な環境をどうにかしない限りは、悪いタイミングは増え続ける一方なのだと感じました。
子どもが親の都合でつらい思いをしながら死ぬことがなくなるように、何かできることがないか考えてみたいと思わせてくれる本でした。
