2013年12月31日火曜日

Book Review: ユリシーズ


タイトル:若い芸術家の肖像(集英社文庫)
作者:ジョイス(Wikipedia
訳者:丸谷才一、永川玲二、高松雄一

半年以上をかけてユリシーズを読み終えて窓の外を見ると2013年最後の日の入りが迫っていた。まぶしく太陽を直視できなかったけれど、日が沈む前に読み終えることができて、気分よく2013年を終えることができることが気がした。

読み終えて数時間経った今となっても、ユリシーズについて何を書くべきか考えあぐねているのだけれど、いったんレビューを年内に終わらせることを目標にこのエントリーを書き始めてみる。

* * *

ユリシーズを読もうと思ったきっかけは、「若い芸術家の肖像」のレビューでも書いたように、多くの作家がユリシーズという作品に作品の中で言及していたからに他ならない。文学を愛するものとして、現代の小説に多大なる影響を与えている本を読まないわけにはいかないと思ったからだ。

若い芸術家の肖像を読み終えたのが5月ごろだとすると、ほぼ半年をかけてユリシーズを読んでいたことになる。もちろん、その間に他の本も読んだ。というよりも、正確には、ユリシーズの難解さに辟易して、もっと簡単で分かりやすくて、ストーリーのおもしろいものを読みたいと思って他の本に逃げていたのかもしれない。

ユリシーズの読み進めにくさは、その文章自体に依るものだと断言できる。

ストーリーはギリシア神話の「オデュッセイア」になぞらえて、ダブリンの1日を18章に分けて描いているのであるから大体時系列で起きていく。登場人物たちの数も重要人物だけを抑えればさほど多くない。

けれど、それなのに、であるからして逆に、延々と続く技巧的な文章、読むだけでは理解できないことを前提とされていることを示す膨大な注釈付きの文章の波に漂い続けていると海に入っているように頭の体力が奪われてしまう。決して眠たくなるような類の文章ではないのだけれど、能動的な読む行為を強いてくる上に、一度に読み進める量を制限してくる文章の密度。

ただ、ダブリンの一日を描くのに、こんなにも長い文章の羅列がなぜ必要だったのだろう。
18章すべてを違った文体で描き分ける必要はどこにあったのだろう。
なぜ、ジョイスはこの本を書いたのだろう。

読み終えたー!という達成感の他に得たものは、この作品への疑問ばかりである。これらの疑問こそが、読み終えて得ることのできる戦利品と言えるのかもしれないけれど。

ジョイスやユリシーズに関して研究された本も読んで近いうちにまた1章ずつゆっくりと読み直したいというのが今の正直な気分です。

2013年12月29日日曜日

One Short Day in the Emerald City! Musical Review: ウィキッド

エメラルドシティに行ってきました!(劇団四季のウィキッドを見てきました。)

Wickedがブロードウェイで上演された頃から歌は聞いたことがあったのですが、生で見るのは初めてでした。

明るい歌で特に好きな歌は、もちろんこれ。



「One short day」が、「こ、こ、は〜」ってなったので、日本語で歌ってみようとしたら、one short dayにここは、と当てるとin the が余ってしまってどんな風に歌われていたのか再現出来ませんでした。音楽的なセンスが皆無な私。。。。

あと、曲としてはこの曲も好きです。



その他、実際に見て気に入ったのはコメディ調のこの曲でした。



ミュージカル自体かなり久しぶりだったので、見ている最中は劇場ってこんなとこだったわーとか、ミュージカル楽しーなーとか、舞台ってこんなに光とかプロジェクションとか使ってたんだぁ〜と、新しい発見をしたりしていました。

観劇後にいろいろ思い出しながら考えていたのは、以下の2つのことについて。

「オズの魔法使い」があらゆる映画、劇作品に派生しているその強力なモチーフの源泉は何なのだろう?ということ。

元の作品もオズシリーズとして子ども向けの本として何十冊にも渡って刊行されているもよう。

今年ディズニーが制作したOz the Great and Powerful(オズ はじまりの戦い)は、オズの大魔法使いを主人公にしたお話だったけれど、グリンダ(良い魔女)がみんなに慕われている割にはなんだか少し抜けているような感じで、単純ないい人と思えなくて、その感じが今回の物語の結末としてのグリンダの生き方としてであれば納得いく感じがツボでした。(ただし、Wickedと照らし合わせるとお話の整合性はタイムライン的にとれないので、別作品として捉えるのが正しいのでしょう。)

一見単純そうに見えて、実は様々な心の葛藤を抱えたキャラクターたち、それにエメラルドシティという圧倒的な夢の世界のインパクトが長い間愛されるオズシリーズの魅力なのだろう、というのが結論です。

エメラルドシティ、一度行ってみたいし。

もうひとつ考えていたのは、上の話とも少し関連するのですが底なしに明るく、幸せそうの象徴の良い魔女として振る舞い続けることを決心したグリンダの人生についてです。

気になったのは、エルファバ(緑の魔女)が最終的に愛する人と結ばれるのとは裏腹にグリンダは友と固い約束をし、自分の魅力を最大限に活かしたアイドル的なエキスパートの道を選ぶことになっているということです。

Wickedは二人の女の子が友情と葛藤の中でそれぞれの人生を選び生きていく、女性の自立の物語と言えるのですが、相思相愛のパートナーを得られなかったグリンダは仕事に生きることになった、と表現することができるのです。

また、エルファバにしても愛する人との生活を手に入れるわけですが、そのお相手たるや昔のシンデレラストーリーのようなイケメン王子ではなく、歩くのもままならないカカシなわけです。愛を誓った人と生き抜いていくという言葉には今回の場合は否が応でも生活感を感じさせるものとなっているのです。

そんなわけで、Wickedに見る女性のあり方の2タイプは、実はとっても現代的で現実的、しかしどちらも強く生きる女性を描いているという印象を受けました。

Wickedで描かれたハッピーエンドの先に、ミュージカルを見た人の中で二人の主人公が、苦悩し成長しながらも生き続ける、良い作品だと言えるのかもしれません。